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我,投入慰安婦問題的契機

  國中、高中歷史課本上一定都會提到這段時代背景下的故事,「慰安婦」是時代的產物,「戰爭性暴力」也是一直到今天都還存在於世界上的角落,婦女、孩童等生活在社會底層的人民往往都會是損失最慘重、無端被波及到的一群人。從課堂上,我們學到了台灣「慰安婦」阿嬤在當時多半是以招募食堂女服務...

2017-04-28

2017.04.27《日本共產黨新聞赤旗》軍方與強制連行 真相明白

「慰安婦」文書182点入手 軍関与と強制連行明白 紙議員「解決へ全力」
Retrieved from http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-27/2017042714_01_1.html
2017.04.27 しんぶん赤旗

相關新聞:2017.04.17 《共同通信》向內閣官房提出慰安婦「連行」書面證據(同站連結)

 日本共産党の紙智子参院議員は26日までに、元日本軍「慰安婦」問題で国立公文書館が新たに内閣官房に提出した公文書19件182点を入手しました。
日本共產黨的紙智子參議員於26日取得了國立公文書館關於前日本軍「慰安婦」問題近期向內閣官房提出的公文書19份共182件。

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(写真)国立公文書館から内閣官房に提出された公文書
元日本軍「慰安婦」問題では、多くの市民、研究者によって膨大な関係資料が発見され、研究されています。今回、内閣官房に提出されたのは、そのうち、東京裁判やBC級戦犯の裁判の記録の一部です。次のような記述があります。
前日本軍「慰安婦」問題,有很多的市民、研究者發現並研究著相關資料。這次向內閣官房提出的資料當中,有一部分是關於東京裁判與BC級戰犯裁判紀錄。同以下的描述:

「認識変えない」「不會改變我們(對慰安婦議題的)認識」

 「本人の自由意思に反してキャンプから連れてきた婦女子を遊女屋に入れることを容認したと言うことは、婦女及び娘達は、自己の意思に反してスマランの遊女屋に入れられたものであり、(中略)彼女等は、如何なる条件の下にも遊女屋を出ることは許されず監禁され(中略)或は強姦或は悪待遇で売春を強制されたことが判明している」(バタビア裁判106号事件)
違反本人的自由意志,將婦女帶至營區的「遊女屋*」中並容許、認可這樣的行為可得知,除了違反婦女及其女兒們的自由意志帶至三寶瓏的「遊女屋」中,(中略),不許這些女性在特定條件之外離開「遊女屋」形同監禁(中略)或以強姦、惡意待遇的方式強制其賣春」--巴達維亞裁判第106號事件

 「戦中の前後約四ケ年間に二百人位の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」(バタビア裁判25号事件)
戰時前後約四年間共有兩百民婦女受奧山部隊之命成為「慰安婦」被強制帶至峇里島--巴達維亞裁判第25號事件

 これらは、日本政府も判決を受け入れている裁判の判決文などの記述です。
這些是日本政府也接受的判決結果的判決文上的記述。

 政府はこれまで、政府として「慰安婦」問題の調査を行っている部署である内閣官房副長官補室に文書がないことをもって、「『慰安婦』の強制連行を示す記述のある文書がない」と説明してきました。今回の文書についてもこれまでの「強制連行を示す記述は見当たらない」とする政府の認識を変えるものではないとしています。
政府至今,作為「慰安婦」問題的調查單位「內閣官房副長官補室」表示並沒有相關文書資料,說道:「沒有文件記述著強制連行『慰安婦』的指示」。這次的文件應該也不足以改變政府一直以來「沒有下達『強制連行』指令的記述」的認識。

隠せない犯罪性 隱藏不了的犯罪性

 強制連行を示す記述のある文書の存在を政府に認めさせる取り組みを続けてきた日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の小林久公さんは「日本政府が加害事実を認める以外に解決はできません。今回、だれが読んでも軍の関与と強制連行の事実が明白な文書を内閣官房が入手しました。本当にこの問題の解決をめざすなら、政府は、新しく入手した資料に記述がありましたと言えばいい。政府に『慰安婦』問題を解決する気があるのかどうかが問われるのです」といいます。
以政府能承認「有強制連行指示的文書存在」而持續活躍的民間團體「日本軍『慰安婦』問題解決全國行動」的小林久公表示:「除了日本政府承認加害事實之外,沒有其他的解決辦法。這次內閣官房收到的文件是任誰來毒登能清楚明白軍方確實和強制連行的事實有關的文件。如果想要在這次解決問題的話,希望政府能說『這次新取得的資料確實有相關記述』,從這點就能看出政府是不是真心的想要解決『慰安婦』問題」。

 同行動の梁澄子さんは「そもそも連行時に強制があったかどうかは問題の本質ではありません。『慰安婦』は国家が戦争を遂行するために戦争犯罪の犠牲者にさせられた。そのことがら全体の犯罪性は覆い隠せないのです」と強調します。
同團體的梁澄子強調:「連行(被帶走)時究竟是不是被強迫的並不是問題的核心,而是『慰安婦』作為國家在戰爭時的戰爭犯罪的犧牲者,這是整體的犯罪,關於這點是沒有辦法被隱瞞的」。

 紙氏は「政府は日韓合意ですべて終わったことにしようとしているが、日本政府が加害の事実をきちんと認め、謝罪し賠償し、真相究明と再発防止を約束しないかぎり終わらない問題です。被害者が納得できる解決のために力をつくします」と決意をのべています。(荻野悦子)
紙議員對此,「政府覺得日韓合意(雙方政府達成協議)這件事情就解決了,但日本政府還需要實實在在地承認加害的事實,並謝罪賠償、查明真相,並約定要為了防止類似的事件再度發生,在這之前問題都還沒有結束」,並決意要「找出被害者都能接收的解決方案」。

2017-04-27

《KOREAと日本についていろいろ》部落格關於第一屆日本軍「慰安婦」博物館會議的紀錄

第1回日本軍「慰安婦」博物館会議
2017/4/5(水) 午前 8:01 日本軍「慰安婦」問題
Retrieved from https://blogs.yahoo.co.jp/remember_0416/14741145.html

「記憶」を継承していくために-第1回日本軍「慰安婦」博物館会議

傳承「記憶」的第一屆日本軍「慰安婦」博物館會議

7カ国から11の博物館と運動団体が参加
日本政府の歴史修正主義に対抗する運動の継続と国際的な連帯を確認
來自7國共11個博物館或社運團體
持續並跨越國際共同對抗日本政府的「歷史修正主義」

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▲第1回日本軍「慰安婦」博物館会議に7カ国から11の博物館と運動団体が参加した
▲第一屆日本軍「慰安婦」博物館會議共有來自7國共11個博物館或社運團體人士參加

 4月1日(土)、東京都千代田区の在日韓国YMCAで<第1回日本軍「慰安婦」博物館会議>が行われ、アジア各国と米国で日本軍「慰安婦」問題の記録保存と継承にとりくむ博物館と運動団体が、各地の活動を報告して情報交換を行った。
4/1星期六,於東京都千代田區的在日韓國YMCA舉行「第一屆日本軍『慰安婦』博物館會議」,有來自亞洲各國與美國關於保存並傳承日本軍「慰安婦」問題的博物館與社運團體報告各地的活動現況與資訊交流。

この会議は、日本軍「慰安婦」被害者の高齢化が進み、資料や証言の収集が困難になっている一方で、日本政府の事実隠ぺいと歴史の書き換えがひどくなっている状況の中で、各地の活動の成果と課題を共有して、記録の保存と「記憶」の継承を国際的な連帯運動として進めていこうという趣旨で開催された。日本の他、韓国、中国、台湾、フィリピン、米国、東ティモール(文書参加)から11の博物館と運動団体が参加した。
這個會議在日本軍「慰安婦」被害者的高齡化使得資料與證言的收集越發困難之外,在日本政府企圖隱瞞歷史事實的現況中,以分享各地的活動成果與課題、強調保存與傳承歷史記憶的國際合作社會運動為主題,除了日本之外,還有來自韓國、中國、台灣、菲律賓、美國與東帝汶(只有文書資料)共11個博物館或社運團體的參加。

時代をさきがけて作った博物館
-韓国<ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館>と<民族と女性歴史館>

順應時代潮流而設立的博物館
-韓國「分享之家・日本軍『慰安婦』歷史館」與「民族與女性歷史館」

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 第1テーマの「時代をさきがけて作った博物館」では、韓国で他国に先駆けて作られた博物館が紹介された。トップバッターとして、1998年に開館された初めての「慰安婦」博物館である<ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館>の安信権(アン・シングォン)所長が、歴史館の開館に至る経緯と現状について報告をした。 
第一個主題是「順應時代潮流而設立的博物館」,介紹了做為設立慰安婦紀念館先驅的韓國的例子。1998年開館,作為最初的「慰安婦」博物館的「分享之家・日本軍『慰安婦』歷史館」安信權所長,分享了從開館至今的現況。

 <ナヌムの家>は、1991年の金学順(キム・ハクスン)ハルモニのカミングアウトをきっかけに韓国社会で「慰安婦」問題の公論化が進む中で、生活に困窮していた被害者のハルモニたちの共同生活の場として、大韓仏教曹溪宗の支援を受けて1992年にソウルで始まり、1995年に現在地(京畿道広州市)に移転した。そして、1998年8月14日に、日本軍「慰安婦」の記録・教育・追悼の施設として歴史館が開館した。
「分享之家」是在1991年韓國金學順阿嬤向世人「出櫃」之後,在韓國社會掀起一股「慰安婦」問題討論的浪潮時,針對生活貧困的被害者阿嬤們所提供的共同生活的場域。1992年接受來在大韓佛教曹溪宗的支援在首爾成立,1995年搬遷至現在地(京畿道廣州市),之後於1998年8月14日成立了紀錄、教育與哀悼三合一的日本軍「慰安婦」歷史館。

   歴史資料の収集にあたっては、日本の市民団体からもたくさんの資料が提供された。沖縄在住で金学順ハルモニの20年前に「慰安婦」であることを告白した裴奉奇(ぺ・ポンギ)ハルモニの遺品も展示されている。
關於歷史資料的收集,主要是來自日本的市民團體所提供的,也展示了住在沖繩、證實金學順阿嬤在二十年前曾為「慰安婦」的裴奉奇阿嬤的遺物。

  その後、敷地の拡張と展示館のリニューアルを行い、2017年には、追悼公園と映画<鬼郷>のセット場を造成する予定である。将来的には、日本軍「慰安婦」をはじめとする世界の平和・人権教育のハブセンターとしての役割を担うことが期待されている。
在那之後,因為空間的擴大與展館的重新整理,2017預定作為紀念公園與電影《鬼鄉》的拍攝現場,將來打算肩負起從日本軍「慰安婦」起邁向和平、人權教育的分享中心(hub center)。

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  韓国の釜山にある<民族と女性歴史館>は、関釜裁判(※)の原告団長を務めた金文淑(キム・ムンスク)館長が私財を投資して建てた博物館で、2004年に韓国で2番目の「慰安婦」博物館として開館した。金館長は、関釜裁判や釜山で初めての少女像の建立など自身の「慰安婦」問題での取り組みと、歴史教育が疎かになっている若い世代に対する教育活動に力を入れている博物館の活動を紹介し、「男女平等こそが世界の平和を実現する道」だとアピールした。
至於韓國釜山的「民族與女性歷史館」,則是由「關釜裁判」的原告團負責人金文淑館長以私人資產投資、興建而成的博物館,於2004年作為韓國第二個「慰安婦」博物館。金館長表示,不論是關釜裁判或是在釜山首次建立了少女像,博物館希望能夠過教育的方式,讓歷史教育不充分的年輕世代透過自身去思考「慰安婦」問題,展現出「從男女平權通往實現世界和平的道路」的態度。
※関釜裁判
1992年12月25日、金文淑館長が探し出した元「慰安婦」被害者3人と勤労挺身隊出身の7人が、日本政府に公式謝罪と補償を求めて山口地方裁判所下関支部に提訴した裁判。1998年4月27日の判決では、「慰安婦」制度は「徹底した女性差別と民族差別思想の現れであり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるもの」という事実を認定し、元「慰安婦」の3人に90万円ずつの慰謝料の支払いを命じた。
※關釜裁判
1992年12月25日,由金文淑館長率領其找到的前「慰安婦」被害者3人與出身於勤勞挺身隊的7人,要求日本政府正式道歉、賠償,向山口地方裁判所(地方法庭)下關支部提出訴訟。1998年4月27日的判決承認「慰安婦」制度「徹底的顯現出對女性的歧視與民族歧視的思想,並侵犯了女性的人格尊嚴與民族的榮耀」,勒令賠償三名前「慰安婦」の3人共90萬日圓的慰問金。 

国際的な連帯運動として-フィリピン<リラ・ピリピーナ ロラズ・センター>

國際性的連帶運動
-菲律賓的 Lila Filipina Resource Center

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  第2テーマの「国際的な連帯運動として」では、フィリピンの<ロラズ・センター>のレチルダ・エクストレマドゥラ代表が報告した。フィリピンでは174人のロラ(おばあさん)が「慰安婦」として登録している。<リラ・ピリピーナ>は当事者であるロラと支援者の団体で、<ロラズ・センター>はその活動拠点として、日本の市民団体の支援も受けながら、2008年に設立された。
第二個主題是「國際性的連帶運動」,由菲律賓的「Lila Pilipina」艾斯特里曼度拉(Rechilda Extremadura)代表報告。菲律賓現存174名慰安婦「lola」(菲律賓 Tagalog 語的阿嬤),「Lila Pilipina」是提供前慰安婦「lola」阿嬤支援的團體,2008年成立「Resource Center」作為活動據點,接收日本民間團體援助。

 <ロラズ・センター>では、ロラたちの勇気あるカミングアウトと闘いの記憶を継承できるよう、若者のインスピレーションに訴える展示に取り組んでいる。1人1人のロラの写真と証言を記録したアルバムを作成し、「慰安婦」の体験をつづった絵やキルトも展示している。
「Resource Center」著重於傳承「lola」阿嬤們鼓起勇氣向世人「出櫃」與奮鬥的記憶,並展示年輕人的採訪,記錄一位又一位「lola」阿嬤的照片與證言的相本,展示歷經「慰安婦」的經驗繪製而成的畫或拼布(quilt)。

 エクストレマドゥラさんは、「たとえロラたちがいなくなったとしても、ここに来たらロラの話が聞ける。日本政府は歴史を消そうとするが、この動きは誰にも止めることはできない。フィリピン政府に圧力をかけても無駄だ。これは市民が次世代への責任として作ったものだからだ。博物館は世界中に広がっていくだろう」と語った。
艾斯特里曼度拉(Rechilda Extremadura)說:「即便『lola』阿嬤們離開人世,來到這裡的人也能聽到『lola』阿嬤們的故事。日本政府想要消除這段歷史記憶,但誰也阻止不了(慰安婦歷史的傳承),即便(日本政府)向菲律賓政府施壓也是沒用。因為這是市民們覺得有責任要為了向下一個世代交代,而成立的,讓世界上有越來越多博物館吧」。

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▲「慰安婦」の体験をつづったロラの作品
▲歷經「慰安婦」經驗後而製成的「lola」阿嬤作品

大学や行政と連携しながら
-中国<南京利済巷慰安所旧址陳列館>と<中国「慰安婦」歴史博物館>

大學與行政部門的合作
-中國「南京利濟巷慰安所遺址陳列館」與中國「『慰安婦』歷史博物館」

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   第3テーマの「大学や行政と連携しながら」では、中国にある「慰安婦」博物館について報告された。まず、<南京利済巷慰安所旧祉陳列館>の蘇智良(スー・チーリャン)館長が、中国にある4カ所の「慰安婦」博物館について紹介し、特に南京の事例について詳しく報告した。ここは、朝鮮民主主義人民共和国在住の「慰安婦」被害者だった故・朴永心(パク・ヨンシム)ハルモニが連れて来られた慰安所で、2003年11月に中国、朝鮮、日本の3ヵ国による合同調査で朴永心ハルモニが現地を訪れて証言している。2015年12月に開館した博物館の入り口には、朴永心ハルモニをモデルにした3人の「慰安婦」の像が置かれている。博物館は、南京大虐殺記念館の分館という位置づけで、南京市政府から財政支援がされている。
第三個主題是「大學與行政部門的合作」,講的是中國的「慰安婦」博物館。首先由「南京利濟巷慰安所遺址陳列館」的蘇智良館長負責介紹中國境內四個「慰安婦」博物館,其中南京的部分有更詳細的解說。「南京利濟巷慰安所遺址」是已故「慰安婦」被害者朴永心阿嬤(生前定居在南韓)的受害地點,2003年11月時由中國、南韓和日本三國共同展開的調查時,朴永心阿嬤到當地時提供的證言。2015年12月開館的博物館入口處,放置了朴永心阿嬤等三人為樣板的「慰安婦」像,該博物館作為南京大屠殺紀念館的分館,接受來自南京市政府的財政支援。

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▲朴永心ハルモニをモデルにした「慰安婦」の像
▲以朴永心阿嬤為雛形的「慰安婦」像

続いて、中国「慰安婦」問題研究センターの陳麗菲(チェン・リーフェイ)研究員が、2007年に上海師範大学の研究センターとして開館された中国「慰安婦」資料館について紹介した。中国の「慰安婦」博物館は、日本の侵略戦争の歴史を記録して保存する国家プロジェクトクトの一環として位置づけられている。
接著是中國「慰安婦」問題研究中心的陳麗菲研究員負責介紹2007於上海師範大學的研究中心成立的中國「慰安婦」資料館。中國的「慰安婦」博物館被定位成「紀錄與保存日本侵略戰爭的歷史」國家計畫的一環。

地域社会と連携した設立運営
-韓国<희움日本軍「慰安婦」歴史館>と台湾<阿嬤の家 平和と女性人権館>

與地方社會合作設立的
-韓國「Heeum日本軍『慰安婦』歷史館」與台灣「阿嬤家 和平與女性人權館」

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 第4テーマの「地域社会と連携した設立運営」では、韓国と台湾から報告があった。まず、韓国大邱市の<희움日本軍「慰安婦」歴史館>の李仁純(イ・インスン)館長が報告した。희움(ヒウム)とは희망을 모아서 꽃피움(希望を集めて花開く)の略で、
2015年12月に開館した。1997年に発足した<挺身隊ハルモニと共にする大邱市民の会>が母体となって、地域コミュニティの力で建てた博物館である。当初は行政からの支援が受けられなかったので、市民参加の募金やアーティストのチャリティ公演で資金を集めた。また、「희움」のブランドでアクセサリーや日用品のグッズを販売し、その収益で設立資金の70%を調達している。
第四個主題「與地方社會合作設立」由韓國和台灣報告。首先由韓國大邱「Heeum日本軍『慰安婦』歷史館」的李仁純館長負責報告,Heeum(희움)是韓文「희망을 모아서 꽃피움」(綻放凝聚希望的花朵)的簡稱,於2015年12月開館。前身是1997年發跡的「大邱市民與挺身隊阿嬤同在之會」,靠著地方社群的力量而創建的博物館。起初並未接受行政體系的支援,由來自市民的捐館與藝術家的慈善公演集資,並販售以「Heeum」為品牌名的飾品與日用品,所得達當初設館資金的七成。

日本風家屋を再現した2階建ての展示館には、文玉珠(ムン・オクチュ)ハルモニら大邱・慶尚北道地域の「慰安婦」被害ハルモニを中心に展示が組まれている。また、市民や地元自治体の議員を対象にした学習プログラムや、ハルモニたちに対する生活・福祉支援など、地域コミュニティと密接につながった活動を続けている。
二樓展館是日本風民家的風貌,以文玉珠等阿嬤們於大邱・慶尚北道地域受害的「慰安婦」阿嬤為中心的展示區。另有針對在地市民、市議員為目標的學習型計畫,對於阿嬤們的生活、社福支援與地方社會之間的連結為中心持續的進行著。

次に、台湾の日本軍「慰安婦」問題の運動団体である<台北市婦女救援基金会>の康淑華氏が<阿嬤の家 平和と女性人権館>について報告した。2016年12月10日の「世界人権デー」に開館した最も新しい「慰安婦」博物館であるが、開館から3カ月で1万人が訪問した。日本軍「慰安婦」問題の経験を共有するとともに、現代の性暴力防止に向けた教育と性暴力被害者のエンパワメントを推進している。
接著是台灣的日本軍「慰安婦」問題的社運團體「台北市婦女救援基金會」的康淑華女士針對「阿嬤家 和平與女性人權館」的報告。於2016年12月10日的「世界人權日」開館的最新「慰安婦」博物館,開館至今三個月已有一萬人次造訪。除了分享關於日本軍「慰安婦」問題的經驗,同時也推動著防止當代性暴力的教育與提供性暴力受害者empowerment。

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▲<阿嬤の家>のカフェでは、女性の雇用と自立を援助するための販売活動を行っている
▲<阿嬤家>的咖啡廳以的販售活動以援助女性就業與獨立為目的。

記憶の運動とこれから
-<日本軍性暴力パネル展実行委員会>の活動、<日本軍「慰安婦」ハルモニと共にする馬昌鎮市民の会>の活動、米国での「平和の碑」運動、UNESCO記憶遺産記録の状況

記憶的運動與從今以後
-「日本軍性暴力展版實行委員會」的活動、「馬昌鎮市民與日本軍『慰安婦』阿嬤同在之會」、美國的「平和之碑」運動、聯合國教科文組織世界記憶遺產的狀況

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 第5テーマの「記憶の運動とこれから」では、日本、韓国、米国での「慰安婦」問題を記録する市民運動と、日本軍「慰安婦」問題をUNESCO記憶遺産に記録する取り組みが報告された。まず、<日本軍性暴力パネル展実行委員会>の石田米子共同代表が、中国で開催している日本軍「慰安婦」問題パネル展について報告した。主に中国の「慰安婦」被害者の支援を行ってきた団体・個人が実行委員会を構成し、2009年から6回、中国各地で行ってきた(三西省太原の太原抗戦記念館では2015年9月から常設展示)。中国のネット民の反発によって中止に追い込まれるという苦境もあったが、「慰安婦」被害者の娘がパネルで亡き母親に再会して涙を流したり、学生がボランティアで来館者のガイドを引き受けたりと、「記憶」を共有する両国の市民の出会いの場となっている。
第五的主題「記憶的運動與從今以後」的內容為日本、韓國、美國的紀錄「慰安婦」問題的市民運動與向聯合國教科文組織申請將日本軍「慰安婦」問題為世界記憶遺產的現狀。首先由「日本軍性暴力展版實行委員會」石田米子共同代表報告在中國展開的「日本軍『慰安婦』問題展版展示會」。主要由中國的「慰安婦」被害者支援團體或個人所組成的實行委員會,自2009年以來在中國各地已展開六場展示(三西省太原的太原抗戰紀念館自2015年9月起為常設展)。因為中國網軍的反對攻勢而不得不中止的活動現狀,有「慰安婦」受害者的女兒在展版上看到已逝的母親不禁落淚,也有學生主動報名展場志工導覽參觀者,是兩國的市民因為這段共有的「記憶」而相會的場域。

 次に、<日本軍「慰安婦」ハルモニと共にする馬昌鎮市民の会>の李京禧(イ・ギョンヒ)代表が、2007年に発足した会の活動について、「少女像」(人権・自主・平和の誓いの像)の設立運動を中心に報告した。2013年6月に建立が提案され、像のイメージに対するアンケート調査、討論会、募金集めなど、徹底した市民参加のプロセスを経て、2014年8月27日に除幕式が行われた。
接著是「馬昌鎮市民與日本軍『慰安婦』阿嬤同在之會」的代表李京禧針對2007年該組織發起的活動「少女像」(宣示人權、自主、和平之像)的設立運動為主題報告。2013年6月提案,針對少女像的意象展開問卷調查、討論會、募款等,完全由市民參與的歷程,於2014年8月27日開幕。

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▲<人権・自主・平和の誓いの像>の除幕式には「慰安婦」被害者の李容洙ハルモニも参加した
▲「慰安婦」受害者李容洙阿嬤也有參加<宣示人權、自主、和平之像>の開幕式。

 続いて、<カリフォルニア州韓米フォーラム>のフィリス・キム氏が、米国における「平和碑」の設立運動について報告した。2006~2007年にマイク・ホンダ議員ら167人の超党派の議員が共同提案者となった米下院の「慰安婦」決議は、無党派の草の根運動が主導した。日本政府はこの決議について「韓国政府の指示による政治工作」という誹謗中傷を行ったが、これは米国市民と世界の市民に対する歴史教育として自立的に行われたもので、2007年のうちに米国、オランダ、フィリピン、カナダ、欧州議会で同様の決議が採択された。その後、一般市民に対する教育として、「慰安婦」の碑や像の建設運動が各地で取り組まれ、現在、サンフランシスコに「平和碑」を建設する運動が続いている。
接著是「加州韓美 Forum」的 Phyllis Kim 針對美國的「和平盃」的設立運動進行報告。2006~2007年 Mike Honda 議員共167位跨越黨派的議員提案的美國下議院「慰安婦」決議,是由無黨派的草根運動主導的。日本政府對於該決議表示這是「接受韓國政府只是的政治工作」誹謗中傷,這是美國市民與世界市民自發進行的歷史教育,2007年在美國、荷蘭、菲律賓、加拿大、歐洲議會也採納了相同的決議。在那之後,作為一般市民的大眾教育,「慰安婦」的碑、像等建設運動在各地展開,現在在舊金山的「平和碑」設置運動正在進行中。

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▲サンフランシスコの「平和碑」。韓国・中国・フィリピンの「慰安婦」被害者を象徴する3人の女性と金学順ハルモニ
▲舊金山的「和平碑」。象徵韓國、中國、菲律賓的「慰安婦」被害者的女性與金學順阿嬤。

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 最後に、<「日本軍『慰安婦』の声」共同登録国際委員会>の韓惠仁(ハン・ヘイン)総括チーム長が、UNESCO世界記憶遺産に日本軍「慰安婦」問題を登録する運動の現状について報告した。現在、2,744点の資料の登録の申請をしている状態であり、2017年9月の審査で登録可否の結果が出る。
最後是「日本軍『慰安婦』之聲」共同登錄國際委員會的韓惠仁總長,報告向聯合國教科文組織申請將日本軍「慰安婦」問題登錄為世界記憶遺產的運動現狀。目前共提出2744件資料申請正在審理中,預定於2017年9月審查結果出爐。

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▲UNESCO世界記憶遺産に登録を申請した資料
▲向聯合國教科文組織提出的世界記憶遺產申請資料。

 各団体からの報告の後、各国の「慰安婦」被害者から集会参加者に向けたビデオメッセージが流され、宣言文を参加国の言語でリレー方式に読み上げて、集会を終えた。
各團體輪流報告之後,放映來自各國「慰安婦」被害者向集會參加者的影像訊息,並以參加國的語言輪流朗讀宣示文後,結束這次的集會。

 この日、会場の外では、日本軍「慰安婦」問題の歴史を歪曲する極右団体の街頭情宣が行われていたが、大きな混乱なく終わった。
這天,在會場外有企圖扭曲日本軍「慰安婦」問題的極右翼人士在街頭鬧事,場面很混亂。

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▲集会の最後に宣言文が参加国の言語で朗読された
▲在集會的最後以參加國語言朗讀宣示文。


第一屆日軍「慰安婦」博物館會議宣言文

今天來自韓國、中國、台灣、菲律賓、美國等各國代表聚集於加害國--日本--召開了全世界首次的日軍「慰安婦」博物館會議。

1991年8月14日,韓國的金學順女士以首位「慰安婦」被害者的身分公開譴責日本政府,從此打破了塵封數十年沈默的歷史。隨後,有更多被害者站出來,提供了有力的證詞。她們的證詞和歷史研究的發展,足以證明日軍在侵略和統治亞太地區的同時,在多數區域都實行了戰爭性奴隸制度的事實。

自活動開始以來,被害女性們的勇敢與積極的參與,一直是帶領整個社會運動的前鋒。她們背負著難以啟齒的歷史,卻溫柔而堅強的活出自我,讓我們學到了做為人的尊嚴和勇氣。

一路上,我們持續對日本政府施壓,要求日本政府對曾經犯下過嚴重侵犯女性人權的罪刑負責,但日本政府卻試圖竄改與遺忘這段歷史。在日本政府持續否認其歷史作為下,博物館的角色變得更加重要,不僅肩負著教育下一代和平與人權重要價值的責任,也肩負著回復倖存者尊嚴的責任。

從1990年代後期起,日軍「慰安婦」博物館相繼成立,保存著日軍「慰安婦」倖存者的記憶。日軍「慰安婦」博物館會議在此宣誓:我們將謹記歷史、團結合作,以期能創造一個沒有戰爭並尊重女性人權的和平世界。

2017年4月1日
第一屆日軍「慰安婦」博物館會議與會者一同
 〈第一屆日軍「慰安婦」博物館會議宣言文〉同站連結:
http://yuchieh-chang.blogspot.tw/2017/04/20170401.html

2017.04.24 《Record China》釜山日本大使館前的慰安婦像合法管理的連署

釜山日本総領事館前の慰安婦像の合法管理、続々と署名集まる=韓国ネット「ごく当然で自然なこと」「日本にこれ以上何を求める?」
Retrieved from http://news.livedoor.com/article/detail/12985266/
2017年4月26日 7時30分 Record China

2017年4月25日、韓国・ノーカットニュースによると、韓国・釜山にある慰安婦を象徴する少女像を合法的に管理するための条例を制定するよう求めた署名活動に1000人を超える市民が参加したことが分かった。
2017年4月25日,韓國CBS旗下的 No Cut News 發表了「要求制定韓國・釜山的慰安婦少女像合法的管理條例」的連署活動,已經收集到超過一千名以上的市民參加。

少女像を守る釜山市民行動は「『日本軍慰安婦被害者への支援および記念事業に関する条例』の制定を求める署名活動を5日から行っている」と明らかにした。24日時点で1300人の市民が署名活動に参加したという。同団体の関係者は「少女像は市民らが設置し、守り抜いた民主主義の産室」とし、「近いうちに数千人が参加するとみられる」と述べた。
根據「守護少女像釜山市民行動」表示:「希望制定『提供給日本軍慰安婦被害者的支援與紀念事業關係條例』的連數活動,從這個月五號開始」,截止到24號已有1300名市民參與聯署。隸屬於同團體的相關人士表示:「少女像是市民們自發設置的,目的是要守護民主主義價值……保守估計也有數千人參與」。

チョン・ミョンヒ釜山市議会議員が発議した同条例は、元慰安婦への生活支援と記念物を設置・管理する方案が含まれている。来月11日、釜山市議会臨時会の期間中に常任委員会で審査が行われる予定だという。
由釜山市鄭明姫市議員發起的同條例,內容包含了提供前慰安婦阿嬤們的生活支援與紀念物(譯註:少女像)的設置與管理方案。下個月11號將在釜山市議會臨時會的會期中,預定由常任委員會來審查。

この報道に、韓国のネットユーザーからは「ごく当然で自然なこと。守るべきものはしっかり守ろう」「『何の自慢にもならない。もうやめよう』と言う人がいるが、歴史は忘れたらまた繰り返される。自分の子どもが同じ目に遭う姿を見たい?」「良い活動。日本は韓国が『靖国神社を参拝するな』と言ってもするし、遺族らに謝罪もしないのだから」など署名活動に賛同する声が寄せられている。
同報導中,韓國網路上有「這不是很理所當然的事情嗎?需要被守護的東西當然要好好的保護它」、「雖然也有打著『放下面子,不要再這樣了』旗號的人,但當歷史被忘記之後總會再度發生,難道希望自己的小孩之後(因為忘記這段歷史)遭遇相同的待遇嗎」、「這是個好活動,因為日本即便對著韓國說『去參拜靖國神社吧』,卻沒有對遺族道歉」等贊同這個連署活動的留言一直湧入。

一方で「なぜ全世界に少女像を設置して過去のみじめな歴史をアピールしようとするの?」「日本は何度も謝罪した。これ以上何を求める?韓国は被害者だけど、『日本を憎む方法』を教えるより先に『なぜ植民地になってしまったのか』を子どもたちに教えるべき」「もうやめよう。つらい歴史を記憶する義務もあるが、わざわざ自慢することではない。先祖の過ちを何度も蒸し返し、政治に利用するな。重要なのは未来」とのコメントもみられた。(翻訳・編集/堂本)
另一方面,也有像是「為什麼在世界各地設置少女像,就能記憶、提醒眾人過去曾發生過的歷史呢」、「日本已經道歉過很多次了,我們還要要求什麼?韓國雖然是被害者,但是比較教導孩子『憎恨日本的方法』何不教導『為什麼我們會變成殖民地』」、「不要再這樣了,雖然記得這段痛苦的歷史是義務,但這並不值得引以為傲。前人的過去已經因為政治目的而被多次的提起,最重要的是未來」等的留言。

2017-04-25

2017.04.24《中央社》前慰安婦阿嬤,陳蓮花女士逝世

元従軍慰安婦の陳蓮花さんが逝去 (2017.04.24) Taiwan Today 日本語版
 

為了記錄並保留下日本軍從軍慰安婦台灣女性們的生命故事,經營「阿嬤家-和平與女性人権館(AMA MUSEUM)」(台灣北部・台北市)的財團法人婦女救援基金會於21浩表示,台灣僅存的三位慰安婦阿嬤當中的一位,陳蓮花女士已於20號晚上8點因常到破裂引發的感染而逝世,享年93歲。陳蓮花女士出生於1924年,19歲在工廠工作時,以招募護士的名義半強制性的被帶到菲律賓,隨後當了近兩年的慰安婦。當時一起在菲律賓工作的有20多位台灣女性,其中平安無事回到台灣的只有陳女士和另外一位而已。陳女士逝世後,全台灣目前僅剩兩名住在台灣東部・花蓮縣的原住名阿嬤。照片為去年12月出席「阿嬤家」開幕式的陳蓮花女士。

中文版新聞原文是這篇:《中央通訊社》等不及日本道歉 慰安婦蓮花阿嬤過世
http://www.cna.com.tw/news/firstnews/201704215027-1.aspx

日文原文:
日本軍の従軍慰安婦として働かされた台湾の女性たちの人生を記録し、伝えていくための「阿嬤家-平和と女性人権館(AMA MUSEUM)」(台湾北部・台北市)を運営する財団法人婦女救援基金会は21日、台湾に生存する元慰安婦3人のうちの1人、陳蓮花さんが20日午後8時に腸管破裂による感染症のため逝去したことを明らかにした。享年93だった。陳蓮花さんは1924年生まれ。工場で働いた19歳のとき、看護婦募集の名義で、半強制的にフィリピンへ連れていかれ、その後、慰安婦として2年近く働かされた。当時フィリピンでは20名余りの台湾人女性が慰安婦として働かされていたが、無事に帰国できたのは陳さんともう一人だけだった。陳さんが亡くなったことで、台湾に生存する元慰安婦は台湾東部・花蓮県に住む先住民族の女性2人のみとなった。写真は昨年12月、「阿嬤家」開館式に出席したときの陳蓮花さん。(中央社)

2017-04-22

2017.04.21 《朝日新聞》越來越多教科書加入性別多元內容!LGBT的世界史

多様な性、教科書掲載広がる「LGBT」世界史などに

沢木香織、毛利光輝、杉山麻里子2017年4月21日18時37分
digital.asahi.com


寫真・図版
LGBTなど性的少數者に関する記述がある高校の世界史、政治・経済、倫理、英語の教科書






 2017年度から使われている高校家庭科の教科書で初登場した「LGBT」。今回の教科書検定に合格し、18年度から使われる教科書にはさらに、高校の政治・経済、世界史、倫理、英語の計5點でLGBTなど性的少數者に関する記述が掲載された。多様な性について考えようという動きが教科書にも広がっている。また、社會的な性差(ジェンダー)についての記述も、複數の教科で見られた。(沢木香織、毛利光輝、杉山麻里子)
 2017學年度啟用的高中《家庭學科》課本中首次出現「LGBT」一詞。這次通過教科署審查的課本,將在2017學年度啟用,從高中的《政治與經濟》、《世界史》、《倫理學》與《英文》等五個科目的課本,都有描寫到關於LGBT等多元性別的內容,有越來越多的課本開始討多元性別的議題。另外,關於「社會性別」(gender,「社會的な性差(ジェンダー)」原文直譯:社會上的性別差異)有關的內容,也有不少課本內容中有提及。

 清水書院は「政治・経済」の「法の下の平等」のページで、差別や偏見を解消すべき課題の一つとして、障害者やハンセン病の元患者とともに「性的少數者(LGBT)」を挙げ、用語説明を初めて載せた。15年に米國の連邦最高裁が「同性婚を禁止する州法は違憲」とするなど、同性婚を合法化した國が約20カ國に広がったことを紹介。同性カップルに男女の婚姻と同等の関係を認める東京都渋谷區の「パートナーシップ」証明についても記した。
 「清水書院」出版的《政治與經濟》》課本〈法律底下的平等〉章節中,關於消除歧視與偏見的課題中,舉了身心障礙人士、痲瘋病患者與「性少數(LGBT)」等例子,是多元性別相關的專有名詞首次列於課本當中。同時還介紹了2015年美國聯邦法院通過「禁止同性婚姻的州憲法違憲」、世界上約有20個國家將同性婚姻合法化等內容,相當於認可同性伴侶得以享有和異性婚姻關係相同地位的東京都渋谷區的「partnership」(同性伴侶註記)證明也有描述。

 同社の擔當者はLGBTについて「教材に載ることで先生方も話しやすくなる。概念や言葉があることを子どもたちが知ることができると考えた」と話す。
 「清水學院」的負責人表示:「在教材上記載了這些內容的話,對於教師來說也比較方面在課堂上帶起相關討論,讓學生們可以知道這些概念以及這些專有名詞的意思,進而引發學生自身的思考」

 清水書院は「倫理」でも、「家族のかたちの変化」の項目で、夫婦とその子どもからなる「核家族」のほか、「多様な家族」として「獨身のまま過ごす人や、子どもをもたない夫婦、結婚せずに子どもとくらす親子、また、同性どうしでくらす人など」と記載した。
 「清水學院」在《倫理學》的課本上,也在〈家庭形式的變化〉一節中描述到,在由一對夫妻和其子女組成的「核心家庭」之外,還有「一直是單身狀態生活、沒有小孩的夫妻、沒有結婚卻和小孩一起生活的親子,以及和同性伴侶一起生活的人」等「多樣化的家庭形式」。

 帝國書院の「世界史B」でもLGBTが初めて登場。「歴史を學ぶ意義」という項目の中で、人類が「性的指向を人権の一つとみなす新しい視點を獲得」したと説明した。関連コラム「ジェンダー(社會的性差)を越えて」の中で、黒人奴隷解放運動や女性參政権運動などを経て基本的人権という理念を獲得してきたとも記述。「21世紀の今日は、『女性は女性らしく、男性は男性らしく』という考え方の見直しとともに、差別の対象であった同性愛や異性裝指向など、LGBTが、國連などにおいて尊重すべき人権と考えられるようになった。近年、日本政府も差別の解消に取り組み始めた」としている。
 「帝國書院」出版的《世界史B》課本中,「LGBT」一詞也首次登場。在〈從歷史當中學習的意義〉的段落中,也說明了「人們將『性別認同』作為人權的一部分之後,就能獲得新的視點」。正文旁邊的小專欄〈超越社會性別〉(=跨越社會性別上的限制)中,也記載著黑人奴隸解放運動、女性參政權運動等基本人權理念的奮鬥歷程。「到了二十一世紀的今天,『女生要像女生、男生要像男生』這樣的想法需要被修正。同性戀、異性裝扮癖等長期遭受歧視的LGBT族群,聯合國等都已經發出聲明指出這是人權的一部分。在近年,日本政府也開始朝著解決LGBT的歧視問題的方向前進。」

 ログイン前の続き同社の擔當者は「女性の権利やユダヤ人の迫害、アパルトヘイトなど、歴史の中で人権についてしっかり考える教科書作りを大切にしてきたが、今回、世界の潮流をおさえ、LGBTの人々の人権についても歴史に位置づけるべきだと考えた」と話す。
 一位曾在「帝國書院」的公司負責人表示:「女權、迫害猶太人、種族隔離政策等,製作一本能讓學生從歷史上學習、思考關於人權的教科書是非常重要的。這次,很高興能跟上世界的潮流,希望能和LGBT的人權站在改變歷史的第一線」

 英語でもLGBTが掲載された。増進堂は「コミュニケーション英語Ⅱ」で、デンマーク発祥の「リビング・ライブラリー(生きている図書館)」という運動について取り上げた。社會的少數者に屬する人を「本」として貸し出す仕組みで、難民、元薬物中毒者らと並んで、「LGBTの人々」と記載された。
 這次也有《英文》課本記載了LGBT的事情,「增進堂」出版的《communication 英文二》中,記述了源於丹麥的「真人圖書館」運動(living library movement):將「社會上的少數」作為一書來借閱,難民、有毒癮前科的人或「LGBT社群的人」都有被列於課文當中。

 教育現場での認知が深まりつつある一方、今年3月に告示された小中學校の次期學習指導要領では、體育の「思春期になると、異性への関心が芽生える」という記述は殘った。思春期に學校でいじめにあう性的少數者が少なくないことなどから、當事者らが小中學校で正しい知識を教える必要性を訴えていた。
 在教育現場第一線在認知上有牴觸的另一方面,今年三月公開的《中小學校次期學習指導要領》中,《體育學科》的內容仍留有「到了青春期,就會萌芽對異性的好奇心」。到了青春期,學校裡面也一定會有 sexual minority 的學生,作為教育最前線的中小學校,有必要傳達正確的知識給這些因為性別認同感到迷惘的學生。

 スポーツ庁によると、2月に示された指導要領の改訂案へのパブリックコメントでは、多様な性に配慮した記述を求める聲と慎重な聲が拮抗(きっこう)した。擔當者は「LGBTについて小中學校で教えることは、國民の理解を得るのが難しい。當事者の児童生徒には、個別に対応することで配慮していく」と話す。
 針對二月公開的指導要領欲提出改正案的公開評論,日本體育廳謹慎小心地回應(抵抗)了這些希望能多一點替多元性別著想的聲浪:「如果在中小學校教授關於LBGT的內容,要獲得國民的理解是很困難的。針對有需求的學生,會以個別輔導的方式給予協助」。

■「夫婦別姓」「女性活躍」記述も
■ 也有關於「夫婦別姓」(夫妻結婚之後,不需使用相同的姓氏)或「女性活躍」等記述

 ジェンダーについても「夫婦別姓」や「女性活躍」の観點から、現代​​​​​​​​社會や政治・経済、倫理、國語、英語、物理などで取り上げられた。
 關於社會性別,從「夫婦別姓」或「女性活躍」的觀點出發,《現代社會》、《政治與經濟》、《倫理學》、《國語》、《英語》和《物理》等科目上也有提及。

 山川出版は「現代社會」で、夫婦別姓を認めない民法750條が憲法違反かどうかが爭點となった訴訟で、最高裁が15年に合憲と判斷したことを報じた新聞記事を紹介。最高裁が選択的夫婦別姓制度にも一定の合理性を認め、國會での積極的な議論を促したことに觸れた。
 「山川出版」的《現代社會》課本中,關於民法第750條不承認「夫妻別姓」(也就是夫妻雙方一定要是相同的姓氏)違憲的訴訟,介紹了最高法院在2015年判決合憲的新聞,最高法院認可「可供選擇的(=具有彈性的)夫妻別姓制度」具有一定的合理性,促成國會中展開積極的討論。

 教育出版は「國語表現」で、夫婦別姓の是非を題材に小論文の書き方を學ぶ項目を盛り込んだ。夫婦別姓に対して自分の意見と、想定される反論を考えながら、紙の上で1人で討論する「セルフ・ディベート」の練習方法を解説。例として「女性の就業が増え、結婚による改姓が不便・不利益だという女性も増えてきている」という立論に対し、「同姓のほうが夫婦の一體感が増し、家族の絆が強まる」との反論なども挙げた。
 「教育出版」出版的《國語表現》中,以「夫妻別姓」的辯論作為學習小論文寫作方式的的題材,介紹了針對自己對於「夫妻別姓」的意見、推論過程與反論,在紙上一個人進行「self debate」討論的小論文練習方式。例如:站在「得以增加女性就業機會,婚後要改姓的話對與女性相當不友善」立場的反方,「夫妻同姓的話可以強化夫妻的整體性與家族成員間的情感連結」等。

 清水書院は「政治・経済」で、日本の女性議員の比率が世界の中でも低く、超黨派の國會議員連盟が他國のようなクオータ制(quota system)の導入を検討していることをコラムで紹介した。
 「清水書院」在《政治與經濟》課本上,也介紹了日本的女性議員比率在世界中很低,超越黨派的國會議員聯盟可以參考外國女性議員保障席次的專欄。

 東京書籍は「物理」で、「女性も男性とともに、世界に羽ばたくチャンスを広げよう」と題した見開きの文章を掲載。日本初の女性物理學者、湯淺年子氏を寫真入りで紹介し、「人類の半分を佔める女性がさらに物理學を學び、今以上に論理的な思考力と科學的な目を養えば、より豊かな花開く未來を構築できるだろう」と締めくくった。
 「東京書籍」在《物理》課本中也以「不論是男生或女生,都能在世界中展翅高飛」為題,附上了日本首位女性物理學家湯淺年子小姐照片,描述著「人類社會中佔了半數的女性,學習物理學之後,能培養出論述的思考力與科學的觀察力,就能夠綻放出更豐富的未來」。

 同社は英語でも、日本人の著名人を取り上げる際、「男性ばかりにならないように意識している」(編集擔當者)という。
 同一個出版社「東京書籍」的英文課本,也舉了日本名人的例子,(編輯長)說「要有意識到(要警惕自己)不要總是以男性的思維在思考」

 光村図書出版の「美術Ⅱ」は、教科書全體を通して登場する作家の性別に偏りがないように配慮した。4人の作家へのインタビューも男女2人ずつ均等に載せた。同社の編集者は「美術の世界も含め、日本は男性中心に動いてきたが、もともと美術は性別に関係なく平等に觸れられるもの。教科書をつくるうえで大事にしている點だ」と話す。
 「光村圖書出版」的《美術二》中,有特別注意到整本課本所出現的作家的性別,受訪的四位作家的便是兩男兩女平均分配。該出版社的編輯長表示:「在美術的世界也是這樣,日本社會總是以男性為中心在運作,但是應該要是不分性別都可以接觸到純粹的美術的。製作教科書時,這是很重要、必須要特別去注意到的一點」。


END

2017-04-21

2017.04.21 來自柴洋子小姐給大家的一封信


柴洋子さんより
來自柴洋子小姐的話



みなさま
給大家的一封信

残念な、悲しいお知らせをしなければなりません。
很不幸的,在這裡要告訴大家一個令人難過的消息。

台湾の陳蓮花さんが今夜2017年4月20日、午後8時頃お亡くなりになりました。
台灣的陳蓮花女士於今晚2017年4月20日,晚上八點左右已經離開人世了。

昨年の12月10日の「阿媽の家」オープンには元気な姿を私たちに見せてくれたので、そのとき、開館式に参加してくださったみなさまから声をかけてくれたかたもいたと思い、お知らせいたします。
自去年12月10日「阿嬤家」開館時,(蓮花阿嬤)為了要讓大家能夠看到自己充滿元氣的一面,那個時候特別邀請大家一起參加阿嬤家的開幕式,其實在這背後還有一件事。

開館式以後、台湾の正月が終わった頃から体調をくずし、3度ほど手術をしました。
開幕之後,台灣的農曆春節結束時,(蓮花阿嬤)的身體狀況急遽下降,歷經了三次手術。

4月13日、ICUに入っている陳蓮花さんにお会いしてきましたが、チューブが口に入っており、呼びかけるとうっすら目をあき、かすかにうなずく様子がみられましたが、言葉を交 わすなどはほど遠い状態でした。
4月13日,我和住進 ICU 加護病房的陳蓮花女士見了一面,因為嘴巴有插管(所以不方便說話)但是呼喚阿嬤的名字時,阿嬤眼睛微微的張著,微微的點頭告訴我她有聽到我的呼喚,但要透過言語對談又是另外一回事了。

陳蓮花さんは、1924年生まれ、フイリピンで看護助手を募集しているといわれ、セブ島で「慰安婦」被害を受けました。
陳蓮花女士生於1924年,以為自己是要到菲律賓去當護士,結果在宿霧島受害,成為了「慰安婦」。

米軍の攻撃を受けたりしながらセブ島に到着。台湾人兵士に「どうしてきたのか」と聞かれ、「看護婦の仕事をしに」といったら「看護婦じゃない、慰安婦だ」と言われましたが、「慰安婦」の仕事とは何かわからなかったといいます。
在前往宿霧島的航程中,也有遭受美軍的攻擊,但阿嬤還是平安的抵達宿霧島。抵達宿霧島之後,台灣人士兵問阿嬤說「為什麼會跑來這裡呢」,阿嬤說:「來這裡當護士啊」,士兵回答:「不是來當護士,是來當慰安婦的。」蓮花阿嬤說,那時候聽到「慰安婦」一詞,還不知道這究竟是什麼樣子的工作。

やがて米軍の艦砲射撃がひどくなり、山中へ逃げ込んだりしますがこの逃避行の中で台湾から一緒に来て仲良くしていた女性が亡くなり、彼女の爪や髪を切って持ち帰りました。帰国してからも彼女の身内を見つけられなかったため、その後も蓮花さんはその人を弔い続けたといいます。
雖著美軍的砲擊攻勢越來越強,大家各自往山中逃跑,在避難的過程中有一位和蓮花阿嬤很要好、也是從台灣來到宿霧島的女性過世了,阿嬤一路帶著這位朋友的一小塊指甲和頭髮一起回到台灣。回到台灣之後阿嬤一直找也沒有找到那位朋友的親人,在那之後蓮花阿嬤代替這位朋友的親人,一直都記得要替這位好友燒香祭拜。

日本降伏後、米軍の捕虜収容所で、最初にあった台湾人兵士が蓮花さんを探しに来て奇跡的に再会し、やがて台湾に帰ってから2人は結婚します。帰国してからも経済的には苦しく、洋裁などで生計をたてました(蓮花さんは、ワークショップに参加するときなど自分で縫ったという洋服を着ていつもおしゃれでした)。
日本投降之後,蓮花阿嬤在美軍的收容所和那位當初一抵達宿霧島時遇見的台灣人士兵奇蹟似地再相遇,因為這段姻緣,兩人回到台灣之後便成婚。剛回到台灣的時候經濟狀況很差,蓮花阿嬤開始以裁縫維持生計。(蓮花阿嬤像是在參加工作坊的時候,都會穿著自己縫製的洋裝,總是很華麗地「妝佮水水」地出現在眾人面前)

蓮花さんは、阿媽たちのワークショップ等にはいつも参加していましたが、公に名前や顔を出すのはずっと後のことでした。
なぜ、顔や名前を出すことにしたの?と聞いたことがあります。蓮花さんは「もう年をとったからね。いいんだよ」といいました。
蓮花阿嬤從身心工作坊開辦以來,幾乎每次都有參加,但是要在公開場合面前露面、公開姓名……其實是比較後期的事情。
我曾經問過蓮花阿嬤說:「為什麼突然願意公開自己的名字和臉呢?」,蓮花阿嬤回答道「也已經到了這個歲數了,沒關係(=不會這麼在乎這種事情)了啦」。

蓮花さんが初めて大勢の人を前にした証言は、日本の京都での証言集会の時でした。ときおり、日本語でカンポウシャゲキと表現し、そのすさまじさを「パラパラパラ」と身振り手振りで語りました。そして泣きました。なるべく泣かないように毅然としていた蓮花さんが泣きました。
蓮花阿嬤首次在很多人的場合上公開指證是一直到日本京都的那場「證言集會」。有時候用日文要表現出「艦砲射擊」的場面時,為了要讓聽眾有身歷其境的臨場感,會擺動整個身體、揮動著手地說著。然後就落淚了。明明很毅然地表示自己能不哭就不哭地蓮花阿嬤,還是忍不住哭了出來。

気強く、信仰深く生きてきた蓮花さんの旅立ちの途がどうぞ平安でありますように・・・。
這一路上很堅強、秉持著信念的蓮花阿嬤,在生命的最後一段旅途中希望阿嬤也能走得很安穩……

蓮花さん、私たちはあなたを忘れません。
蓮花女士(阿嬤),我們永遠都不會忘記妳。

2017-04-20

2017.04.19《朝日新聞》內閣府官方網站上的「災害教訓報告書」中刪除關於「虐殺朝鮮人」的部分


  為了要傳遞自江戶時代以來天然災害的教訓的日本政府中央防災會議的專門調調查會報告書,內閣府從官方網站上刪除了這份報告書。理由是:內容的一部分包含關東大地震時「虐殺朝鮮人」的內容,自這份報告書公開以來的七年,陸續收到針對內容的批判聲浪,故決定刪除這份報告書。

【照片】被刪除的報告書中,第二篇第二節有關於關東大地震時「虐殺朝鮮人」的敘述。

  被刪除的這份報告書是由同屬日本政府中央防災會議的「關於傳承災害教訓的專門調查會」(2003~2010)所製成,內容關於過去以來重大災害、被害以及政府方面的對應措施、對於國民生活的影響等教訓的整理。

  2009年作成的關於關東大地震的報告書第二篇裡,〈殺傷事件的發生〉(第15頁)記載著虐殺朝鮮人的部分。內閣府時常收到「為什麼要記載這樣的內容」的回饋,四月後正好官方網站要重新整理,順帶連安政的大地震、雲仙普賢岳火山爆發等內容爭議,直接先撤下整份的報告書。
 
  根據「負責的行政部門的判斷」,將依序刪除這些內容。有民眾希望這樣曾經刊載過的內容,之後也能被保存下來,例如能透過電子郵件的方式發送之類的。

  根據〈殺傷事件的發生〉的內容,關東大地震時共有超過10萬5千人死亡或行蹤不明,在這些人當中是「被殺害」的死者約佔1~數個百分比。原文:「官憲、地震受災戶或周邊住民發生很多殺傷事件,其中適合以『虐殺』來描述的例子也有很多。按(被殺死的)受害者分類,朝鮮人最多,中國人或內地人(日本本島人)相較來說受害人數比較少」、「發生大規模災害時,又發生最糟糕的事情,對於今後的防災行動來說必須要在心上」

「朝鮮人虐殺」含む災害教訓報告書、内閣府HPから削除

朝日新聞デジタル 4/19(水) 5:03配信
Retrieved from https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170419-00000013-asahi-soci


 江戸時代以降の災害の教訓を将来に伝えるため、政府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書を、内閣府がホームページから削除していることがわかった。一部に関東大震災時の「朝鮮人虐殺」についての記述が含まれており、担当者は「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」と説明している。

【写真】削除された報告書の一部。第2編の第2節では、関東大震災時の「朝鮮人虐殺」について報告されている。

 削除されているのは、同会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」(2003~10年度)が作った報告書。過去の大災害について、被害や政府の対応、国民生活への影響などを整理し、教訓をまとめている。

 09年に作成した関東大震災についての報告書の第2編では、「殺傷事件の発生」(計15ページ)として朝鮮人虐殺を扱っている。内閣府によると、この内容について「なぜこんな内容が載っているんだ」との苦情が多く、4月以降のホームページの改修に合わせ、安政の大地震や雲仙普賢岳噴火などを含め、すべての報告書の掲載を取りやめることにしたという。

 「担当部局内での判断」だとし、順次削除を進めている。掲載していた資料は今後も保管され、希望者にはメールでの配布を検討するとしている。

 「殺傷事件の発生」では震災全体の死者・行方不明者が10万5千人を超え、このうち殺害による死者数を1~数%と推計。収集した史料などをもとに「官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」などと指摘。「大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」と記している。(山本孝興)

2017.04.19《朝日新聞》原子力規制委員會通過4核電廠(共5機組)的廢爐,仍未定廢棄物處理方式



 日本原子力規制委員會19日認可運轉超過四十年以上的四座核電廠(共5機組)的廢爐計畫。這是東京電力公司福島第一核電廠事故發生後,規定核電廠最多只能運轉四十年的原則上,首次認可的廢爐計畫。按照計畫書的內容,五座機組廢爐後共產生總量2萬6820公噸的放射性廢棄物,這次的計畫並沒有決定這些廢棄物的處理方式,留下最重要的課題尚未解決,便展開了這次的廢爐。

 五座機組分別為日本核能發電敦賀核電廠一號機(福井縣)、九州電力公司玄海核電廠一號機(佐賀縣)、關西電力公司美浜核電廠一號機和二號機(福井縣),以及中國電力公司島根核電廠一號機,共四個核電廠、五個機組。計畫書內容因各公司而異,廢爐完成時間於2039~2045年之間、費用上一個機組約花上350億日圓,總計花費約1789億日圓。

 五座機組的廢棄物,例如:原子爐、管線等含有放射性質的東西共2萬6820公噸,廠房的廢材等低於國家輻射線量標準值的垃圾約4萬300公噸。

原子力規制委、4原発5基廃炉認可 廃棄物処分先は未定

原子力規制委、4原発5基廃炉認可 廃棄物処分先は未定

朝日新聞デジタル 4/19(水) 21:12配信
Retrieved from https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170419-00000099-asahi-pol

 原子力規制委員会は19日、運転開始から40年以上が過ぎた4原発5基の廃炉計画を認可した。東京電力福島第一原発の事故後、原発の運転期間が原則40年に制限されて以降、廃炉が認可されるのは初めて。計画によると、5基の廃炉で出る放射性廃棄物の総量は2万6820トンに上るとみられるが、その処分先は決まっていない。重い課題を残したまま、廃炉がスタートする。

 この日廃炉が認可されたのは、日本原子力発電敦賀原発1号機(福井県)と九州電力玄海原発1号機(佐賀県)、関西電力美浜原発1、2号機(福井県)、中国電力島根原発1号機の4原発5基。各社の計画によると廃炉完了は2039~45年度で、費用は1基あたり350億円前後、計1789億円が見込まれる。

 5基の廃炉で出る廃棄物は、原子炉や配管など放射性のものが2万6820トン、建屋の廃材など放射線量が国の基準値以下で放射性でないと扱われるものが4万300トンとみられる。

2017-04-18

2017.04.18《中央日報》澳洲日僑撤銷請求人權委員會撤除雪梨少女像的申訴

韓國《中央日報》2017/04/18的新聞
一座放在澳洲雪梨教會裡的少女像,本來澳洲日僑要申請「請她們撤除少女像」的訴訟,目前確定要撤銷申訴。
原本 Australia Japan Community Network (AJCN) 向澳洲人權委員會提出申訴的理由是:這是對於日本人的民族歧視,基於民族歧視差別法(人種差別禁止法)的內容已提出申訴。
少女像坐落的這個澳洲雪梨的教會,其實位於韓國人相對較密集的社區裡。

[ⓒ 中央日報日本語版]

豪人権委員会、シドニー少女像の撤去を求める日系団体の申し立てを棄却

2017年04月18日 16時43分
Retrieved from http://s.japanese.joins.com/article/197/228197.html?servcode=A00&sectcode=A10

 オーストラリア・シドニーのある教会の敷地内に設置された「平和の少女像」を見た日系団体が人種的憎悪と分裂をあおるとしてオーストラリア人権委員会に申し立てを行ったが、棄却されたことが分かった。

  韓国メディアのYTNなどによると、「シドニー平和の少女像建設推進委員会」は17日、オーストラリア人権委員会が、昨年12月に日系民間団体である「オーストラリア・ジャパン・コミュニティー・ネットワーク(AJCN)」側の少女像の撤去を求める申し立てを棄却したと明らかにした。オーストラリア人権委員会側は、日系団体が申し立てた内容は人権委員会が扱う事案ではないと判断したことが分かった。

  シドニーの少女像は昨年8月、韓国人密集地域の近隣にある教会の裏庭に建てられた。日系団体は日本人を人種差別や集団いじめから守らなければならないという理由で人種差別禁止法の条項を引用して少女像の撤去をオーストラリア人権委員会に申し立てた。

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オーストラリア・シドニーのある教会に建てられた少女像。(写真=韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香常任代表のフェイスブック)

2017.04.17 《產經新聞》大阪市和舊金山市締結六十周年,慰安婦問題成為火種

【簡譯】
大阪市和舊金山市今年正好是兩邊成為姊妹市的六十周年,但因為舊金山市最近也蓋了一個慰安婦像,所以兩邊有一點小小的火藥味。

故事的開始是2015年中國派的反日團體申請要建一個慰安婦像和碑文,獲得市議會的支持
(市議會那邊的)決議案到「被前日本軍誘拐、強制性的變成性奴隸的亞洲、太平洋諸島的受害女性或少女約有二十萬人」
日本政府覺得「性奴隸」這樣的說法不當,(受害人次)數字又很曖昧模糊,又批判到前日本軍而很不爽。

那時候的大阪市長橋下徹表示:「關於慰安婦這件事,只舉了日本這個例子就會限縮了戰爭性暴力的格局(這是我自己加的,只為了讓中文意思比較好懂,日文原文沒有主詞也沒有講是什麼東西只把日本當作唯一的例子),沒有辦法解決這個世界問題」

然後他寄了一封信表達他的不滿

同年底(2015/12/28)日韓「合意」
(OS前面講華僑出資蓋慰安婦像,現在講日韓合意,說到這個我就會很氣為什麼日韓兩邊政府可以達成共識)

橋下徹之後的下一任(也就是現任)市長吉村洋文去年八月造訪舊金山市,說「(第二次世界大戰那個時候)大家都知道慰安婦制度是必要的」

但是今年一月舊金山市藝術委員會通過慰安婦像的申請,然後日本就跳腳了

總之舊金山那邊是說,啊這個慰安婦像是放在私人土地上,又沒有擋到市容,審查是以藝術的角度來看,又不是以「歷史認識」的角度來審查

預計擺放的私有地其實緊鄰著 Saint Merry's 公園啦

碑文內容有一段這樣寫著:
「這個紀念碑是紀念在1931~45年間在亞太地區等13個國家受害,被刻意換成了『慰安婦』這個稱呼的日本軍性奴隸的數十萬女性以及少女的見證人」

今年二月一號吉村市長開寄了一封信給舊金山市長,內容是說:「這是違背日韓合意的東西,碑文上所記載的東西和歷史事實不符,並沒有正視歷史,而是在批判日本」

對此,舊金山市市長二月三號回信,內容說:「這是民間出資的計畫(中略)每個人對於歷史都有不同的解讀方式」「(設置慰安婦像)的本意是善意的」

吉村市長在三月二十九日就再度寄了一封公開信,說:「碑文上所紀載的內容,並不是各國都可以接受的表達方式」

舊金山市長為了慶祝兩邊成為姊妹市六十周年,本來計畫在今年要造訪日本的,現在情況有待觀察

姉妹都市60周年 慰安婦像「火種」 大阪市「歴史直視でなく日本批判」 サンフランシスコ市「設置は善意」

産経新聞 4/17(月) 14:46配信
Retrived from https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170417-00000070-san-soci

 慰安婦像が大阪市の国際交流に不穏な影を落としている。米サンフランシスコ市当局が今年、中国系反日団体による慰安婦像と碑文の設置を承認したことに対し、姉妹都市である大阪市が遺憾の意を伝え、慎重な対応を求める吉村洋文市長名の公開書簡を2回も送る騒動に発展したのだ。両市は今年で姉妹都市提携60周年を迎えるが、新たな火種になる可能性もある。

 ◆橋下氏も懸念

 騒動の発端は2015(平成27)年。中国系反日団体が慰安婦像と碑文の設置をサ市に申請し、7月の市議会で設置を支持する決議案が審議された。

 決議案は、慰安婦を「旧日本軍に誘拐され、強制的に性奴隷にされた推定20万人のアジアと太平洋諸島の女性や少女」として、日本政府が不適切とする「性奴隷」という表現や根拠があいまいな数字をもとに旧日本軍を批判。団体への協力をサ市に促す内容だった。

 当時の橋下徹大阪市長は「(慰安婦について)日本の事例のみを取り上げることによる矮小(わいしょう)化は世界の問題解決にならない」と懸念を伝える公開書簡をサ市議会宛てに送った。書簡は議会での審議資料に採用されたが、決議案は結局、9月の議会で採択された。

 その後、同年末には日韓両政府が慰安婦問題の最終的かつ不可逆的解決を確認した「日韓合意」が成立し、国際社会で互いに非難・批判を控えることが約束された。

 橋下氏の後を継いだ吉村市長は姉妹都市提携60周年に先立ち昨年8月、サ市を訪問。「(先の大戦当時は)慰安婦制度が必要だったということは誰にだって分かる」とする橋下氏の発言でサ市訪問が中止になるなど悪化していた両市の関係修復を図った。それだけに、半年後の今年1月、サ市の担当機関である芸術委員会が慰安婦像のデザインと碑文の内容を承認する見通しになったときの衝撃は大きかった。

 吉村市長は2月1日付の公開書簡をサ市のエドウィン・M・リー市長宛てに送付した。

 ◆性奴隷の記述

 慰安婦像は背中合わせに手をつなぐ3人が柱の上に立ち、脇にチマ・チョゴリ姿の女性が立つデザイン。団体が設置しようとしているのは公園などの公的スペースではなく、私有地だ。

 サ市では、私有地でも衆目に触れる場所に彫刻やオブジェなどを設置する場合、景観を害していないか市が審査する仕組みになっている。審査は芸術的観点で実施され、歴史認識は審査対象外とされており、芸術委員会は2月6日、碑文の内容を2点修正した上で正式に設置を承認した。

 像と碑文は今秋以降、セント・メリーズ公園に隣接する私有地の展示スペースに設置される予定。設置後、この私有地は像と碑文ごと市に寄付されることになっている。

 正式承認されたものの、碑文の文言には歴史研究者の間で見解が大きく分かれる内容が含まれる。「この記念碑は、1931~45年にアジア太平洋の13カ国で婉曲(えんきょく)的に『慰安婦』と呼ばれ、日本軍に性奴隷にされた数十万人の女性や少女の苦しみの証人だ」と書かれているのだ。

 吉村市長は公開書簡で「日韓合意の精神を傷つけるもの。不確かで一方的な主張を碑文に歴史的事実として記すことは、歴史の直視ではなく日本批判だ」と指摘した。

 これに対し、サ市のリー市長名の2月3日付返答書簡が大阪市に届いた。書簡は「民間の資金によるプロジェクト。(中略)歴史はしばしば個人によって解釈が大いに異なるもの」「(像設置の)意図は善意だ」としており、大阪市の主張を微妙にかわした。

 ◆2度目の書簡

 米国ではロサンゼルス近郊にも慰安婦像が設置されており、南部バージニア州などには旧日本軍の慰安婦について記した石碑もある。一方、ジョージア州アトランタにある米公民権人権センターでは、像設置がいったん決まった後に撤回された。

 リー市長は姉妹都市提携60周年を記念し、今年中に大阪を訪れる予定になっている。吉村市長は3月29日付の2度目の書簡で「碑文の文言は各国が共有できるものであるべきだ」と指摘した。

 今のところ、訪問中止などの動きはない。ただ、日本をおとしめる意図が込められた慰安婦像というセンシティブな問題を抱えたまま、両市は未来志向の関係を築けるだろうか。

2017.04.17 《共同通信》向內閣官房提出慰安婦「連行」書面證據

國立公文書館向內閣官房(相當於台灣的行政院這樣的層級)提出關於從軍慰安婦相關的公文文件共19份,182件

專家表示:「關於軍方強制把人帶走的文字說明隨便翻都是」

另一方面,內閣官房對外表示:「政府的認知不變,並沒有關於強制把人帶走的文字記述」

這十九份文件是法務省整理戰後東京裁判、BC級戰犯裁判的紀錄。其中有一份,「巴達維亞裁判25號事件」的資料有前日本海軍--印尼特別警察隊長的證言:「約有兩百人左右的婦女奉奧山部隊之命,被帶到峇裡島成為慰安婦」

慰安婦「連行」文書提出公文書館、內閣官房に

共同通信 2017/4/17 05:304/17 07:39updated
Retrieved from https://this.kiji.is/226439326585487363

 舊日本軍の従軍慰安婦問題で、國立公文書館が新たに関連する公文書19件182點を內閣官房に提出したことが17日、分かった。専門家は「軍の関與と強制連行を示す記述が隨所にある」と指摘。一方、內閣官房は取材に「強制連行を示す記述は見當たらないという政府認識は変わらない」としている。

 19件は、法務省がまとめた戦後の東京裁判やBC級戦犯裁判の記録。このうち「バタビア裁判25號事件」資料には、日本海軍のインドネシアの特別警察隊元隊長が戦後、法務省関係者に「200人くらいの婦女を慰安婦として奧山部隊の命によりバリ島に連れ込んだ」と証言した記述があった。


畫像
舊日本軍の従軍慰安婦問題で、法務省がまとめた戦後の東京裁判やBC級戦犯裁判の記録
畫像
記録に書かれた慰安婦に関する記述の部分

2017-04-10

2017.04.09《神奈川新聞》土壤液化擴大 熊本地震18個市町村受害


【簡譯】
  去年四月因為熊本地震導致土壤液化,約有 6800 處的住宅區域、農地等受害,根據關東學院大學都市防災工學科的若松加壽江(若松加寿江)教授的研究,主震的強度為前震的五倍之大,一開始前震的震度七使得地盤受到劇烈的搖晃之後已經相當脆弱,約 28 小時後的主震的襲擊,使得內陸、山間的地盤土壤液化的可能性大幅提升。
若松教授和團隊今年三月到現場調查的結果,從前震發生之後的隔天(2016/04/15)所拍攝到的衛星影像中發現,土壤液化的特徵之一「噴砂」的痕跡,確定那個時候各地點就已發生土壤液化的情況。
  同份調查內容中,在 2016/4/14 熊本縣益城町測得芮氏地震規模 M6.5 的前震(相當於震度七)中,熊本市中心約有 1300 處地點發生土壤液化,而隨後 2016/4/16 益城町和西原村測得主震(芮氏地震規模 M7.3,相當於震度七),涵蓋阿蘇地區在增加 6800 處地點發生土壤液化的情況。在前震已經發生土壤液化的 1300 處地點土壤「再液化」,使得噴砂的量以及範圍擴大,受害程度可想而知。
  根據數據分析結果,土壤液化確認地點,也有震度超過「五強」的地方,並不是所有地層劇烈搖晃的地方都會發生土壤液化的現象,這還取決於地盤的地質條件或地質事件。
  若松教授:「通常大家在印象中都會覺得土壤液化只會發生在底面以上有人為活動的地方(蓋房子等),但其實在自然地盤上也會發生土壤液化。」



軟弱地盤で液状化拡大 熊本地震、18市町村で被害

カナロコ by 神奈川新聞 4/9(日) 18:30配信
Retrieved from https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170409-00017024-kana-l14

 軟弱地盤で液状化拡大 熊本地震、18市町村で被害
液状化が確認された熊本県内の18市町村
 昨年4月の熊本地震で液状化が発生した宅地や農地などは約6800カ所に上り、本震後に前震時の約5倍に拡大していたことが、関東学院大の若松加寿江教授(都市防災工学)らの調査で分かった。最初に震度7を記録した前震で激しく揺さぶられた軟弱地盤が、約28時間後の本震でさらに緩んだためとみられる。熊本県沿岸に東京湾岸のような埋め立て地はほぼないものの、被害は阿蘇山麓を含む県内18市町村に及んでおり、内陸や山間部でも地盤の状況によっては液状化のリスクが高いことが浮き彫りになった。

 若松教授は防災科学技術研究所の先名重樹主幹研究員らと今年3月にかけて現地調査を重ねるとともに、前震翌日の昨年4月15日に撮影された衛星写真などを解析。液状化の特徴である地下からの「噴砂」の痕跡から被害の全体像を把握しつつ、各地点が液状化した時期を絞り込んだ。

 調査の結果、同4月14日に同県益城町で震度7を観測したマグニチュード(M)6・5の前震により、熊本市内を中心に約1300カ所が液状化していたことが判明。同町と西原村で震度7となった同4月16日の本震(M7・3)では、前震で液状化がみられなかった阿蘇地域を含む約6800カ所に拡大していた。前震で確認された約1300カ所は本震で「再液状化」し、噴砂の量や範囲が拡大するなど被害や影響が深刻化していたという。

 解析の結果、液状化が確認された地点は、一部を除き推定震度5強以上の場所だった。ただ、強い揺れに見舞われた地域で一様に液状化が起きるのではなく、地盤条件や土地の履歴などによって状況は大きく異なっていた。

 住宅地の被害が目立った熊本市では、街道沿いの南北約7キロにわたって噴砂がみられた。「液状化の帯」とも呼ばれたが、「この一帯は河川が運んできた砂が堆積し、地下水位が高いため、液状化が起きやすかった」と若松教授は分析。また、川沿いで近接する2カ所の住宅地では、液状化による地盤沈下や家屋傾斜の有無が分かれ、「造成前の土地の状況や造成方法の違いが影響した可能性が高い」とみている。

 このほか、熊本市の南側に位置する嘉島町の大規模商業施設は、駐車場など敷地の一部のみ液状化していたが、過去に砂利を採取していた場所だったことが判明。阿蘇市や南阿蘇村では、火山灰質の砂が堆積した地域を中心に約2200カ所が液状化し、全体の3分の1近くを占めた。農地やビニールハウス、農道などが損壊し、基幹産業の農業に大きな打撃を与えていた。

 若松教授は「液状化は埋め立て地で発生するイメージが強いかもしれないが、自然地盤でも起きるということを認識しておくべきだ」と警鐘を鳴らす。

 東日本大震災では、震度5強となった横浜市内で住宅地やマンションに液状化の被害が発生。川崎市の臨海部でも液状化がみられ、若松教授らの調査によって茅ケ崎、平塚市内も発生が確認されている。

2017-04-09

我,投入慰安婦問題的契機

  國中、高中歷史課本上一定都會提到這段時代背景下的故事,「慰安婦」是時代的產物,「戰爭性暴力」也是一直到今天都還存在於世界上的角落,婦女、孩童等生活在社會底層的人民往往都會是損失最慘重、無端被波及到的一群人。從課堂上,我們學到了台灣「慰安婦」阿嬤在當時多半是以招募食堂女服務生、護士等戰時後勤的職種被騙至南洋受害。這是時代背景下的產物,事情已經發生、時代已經過去,但歷史不能被遺忘;該如何面對這段過去,最重要的不是去埋怨、去蹭恨當時的掮客,或者部隊中的男性官兵,而是透過理解整個戰時體制、當時人們的生活環境的歷史背景,去思考這個事件可以帶給後人的啟發。這是我從學校歷史課上所學到的事情。

「慰安婦問題」再一次走進我的生活當中是在大三那一年──在日本大阪交換留學的時候。

  2015年後半年,日韓雙邊又再度因為駐韓日本大使館前象徵慰安婦阿嬤們的「少女像」掀起很大的話題,而「少女像」的設計與擺放的位置本身即凸顯出也韓國人的性格:刻意坐落在日本大使館前、何以特地將歷史事件的紀念碑刻意設計成受害「少女」的形象,將時間拉回受害的當下,而非「慰安婦問題」正式浮出檯面,世人所見到的「阿嬤」的意象?2015/12/28日韓政府突如其來地達成協議(日文原文:「日韓合意」)」,由日本政府提供十億日圓交給韓國政府底下的慰安婦援助財團(和解・癒し財団),而韓國方面則須將少女像另遷他處。但「少女像」爭議並未因此結束:原版少女像仍未遷移,海外韓僑更開始募款在各地設置一模一樣的少女像(目前確定已有美國加州、喬治亞州、舊金山市與德國等),也有韓國仁川松島的新松高中生聽從前南韓總統朴槿恵一句「希望能在韓國一百個學校裡設置一百個迷你版少女像」而募款在校內擺設長、寬各四十公分的少女像;另一方面,由於這次的協議是由雙邊政府「單方面協議」而未有當事人、韓國民間的慰安婦倡議團體參與,韓國民間團體對此也有所不滿。面對「從日本政府眼中並未完全履行協議」的南韓,日本更因此召回駐南韓大使。近期(2017/4/8)駐南韓大使長嶺安政回到韓國時,日本知名小說家筒井康隆在自己的推特上發表了非常沒有水準的言論 ,使得自己原先即將要在日本出版的小說翻譯本已絕版 ,日韓雙邊的為了「慰安婦問題」的爭議仍持續上演中。
  當時在日本念書的我,覺得很生氣也很無力:「慰安婦問題」不應該是日韓雙邊的事情,為什麼可以交由雙邊政府協議即可,那台籍的慰安婦阿嬤們呢?正好因為「日韓合意」的契機,和日本友人討論到這件事情才發現,原來和自己年紀相仿的日本人在課本裡是未曾讀到「慰安婦」這三個字,也就對此完全一無所知,即便之後自己從媒體中得知慰安婦相關的新聞,或者在老一輩的日本人有聽說過「慰安婦」一事,多半也會認為「慰安婦阿嬤只有韓國人」。這樣片面的認知一方面和韓國人本身「據理力爭」強勢的民族性格擺脫不了關係,還有一個因素是來自於除了老一輩日本人之外,絕大多數的日本人並不知道台灣曾經「也」作為日本殖民地的一部份,但其實台灣是日本最早、也是經營最久的一塊殖民地。

  2016年5月我參加了第十屆關西酷兒影展(関西クェア映画祭),雖然名為「酷兒影展」,但因為能夠放映的影片數量不夠多,再加上主辦人個人興趣,於是乎選了兩部和慰安婦問題有關的紀錄片,也和日本的慰安婦博物館(Women Active Museum)借用展版,在影展會場上設置了「慰安婦問題」專區。從那個時候起我才發現原來整個「慰安婦問題」涉及的地區、層級遠遠超乎我原先的想像,我從那個時候起開始知道其他國家的慰安婦阿嬤們的故事,透過和影展工作人員、觀眾的對話,了解到日本人、在日韓僑之間對此的想法其實不同於媒體上所呈現出來的樣貌,透過在日韓僑之口,讓不懂韓文的我也可以多少理解到韓國國內的想法,也實際參與了一次的「週三集會 」的大阪分會。
  作為影展慰安婦主題的場次唯一的台灣觀眾,能夠以一位台灣人的視點分享我在學校學到的「價值觀念」,對我來說是意義非凡的一件事情:我發現到要打破日本媒體圈過度將慰安婦問題限縮在日韓之間的現象,就必須要由「理所當然要參與在慰安婦問題討論」的「我們」主動發聲;同時,能夠閱讀日文新聞、對於慰安婦問題日韓政治爭議的我,有必要將「即時現況」傳遞給在台灣的大家,知己知彼才能想出最好的對策。

回到台灣之後,台灣的慰安婦紀念館「阿嬤家──和平與女性人權館」2016/12/10落成,特別舉辦了一整天的講座邀請了韓國、日本和中國的慰安婦問題民間團體,各自講述自己國內的狀況等。一整天的活動下來,各國「民族性格」再加上負責處理慰安婦問題的民間團體背景的不同,從呈現出來、所努力的方向截然不同,但是大家共同的目標都只有一個:要讓「慰安婦」這件事情被後世記得,要讓這群阿嬤們的故事被傳承下去。
今年十一月底前,台灣、日本、韓國、中國、印尼、東帝汶、荷蘭、美國等八個國家、十四個公民團體向聯合國教科文組織提出以「慰安婦之聲」(Voice of Comfort Women)為名的世界記憶遺產申請結果即將出爐,在這之前我在「阿嬤家」擔任展場志工,負責展區的解說(中、日、英語)。

「如果聽完我的解說,讓你還是覺得這段歷史、這個博物館帶給你的只有沉重與難過,那表示我解說的不夠好。」

つづく

2017-04-07

2017.04.05《每日新聞》大阪市男同性伴侶獲「養育里親」認定 全國首例

本文同時刊載於 GagaTai嘎嘎台 與 LalaTai

gagatai.com

lalatai.com

 *註:「里親」制度不同於傳統、既有的養父母「收養」制度。「收養」僅限於「已婚夫婦」共同收養小孩,但「里親」制在設計上並未限定「已婚」「異性戀夫婦」等條件,而是強調「具有照顧、扶養小孩」能力的「大人」皆可申請。
在傳統婚姻觀念極強的日本社會,「里親」制度的出現,被視為突破傳統一夫一妻共同扶養小孩的價值觀念上一個很大的突破。
在這樣保有很高彈性、新時代的「里親」制度下,有第一對同性伴侶申請成功,著實為「里親」制度的有多了更多的可能性。

2017-04-06

2017.04.01 日本軍慰安婦博物館會議宣言文

「日本軍慰安婦博物館會議」宣言文,共有日文韓文簡體中文英文等四個版本
Retrived from http://wam-peace.org/20170406/

第一屆日軍「慰安婦」博物館會議宣言文

宣言

今天來自韓國、中國、台灣、菲律賓、美國等各國代表聚集於加害國--日本--召開了全世界首次的日軍「慰安婦」博物館會議。

1991年8月14日,韓國的金學順女士以首位「慰安婦」被害者的身分公開譴責日本政府,從此打破了塵封數十年沈默的歷史。隨後,有更多被害者站出來,提供了有力的證詞。她們的證詞和歷史研究的發展,足以證明日軍在侵略和統治亞太地區的同時,在多數區域都實行了戰爭性奴隸制度的事實。

自活動開始以來,被害女性們的勇敢與積極的參與,一直是帶領整個社會運動的前鋒。她們背負著難以啟齒的歷史,卻溫柔而堅強的活出自我,讓我們學到了做為人的尊嚴和勇氣。

一路上,我們持續對日本政府施壓,要求日本政府對曾經犯下過嚴重侵犯女性人權的罪刑負責,但日本政府卻試圖竄改與遺忘這段歷史。在日本政府持續否認其歷史作為下,博物館的角色變得更加重要,不僅肩負著教育下一代和平與人權重要價值的責任,也肩負著回復倖存者尊嚴的責任。

從1990年代後期起,日軍「慰安婦」博物館相繼成立,保存著日軍「慰安婦」倖存者的記憶。日軍「慰安婦」博物館會議在此宣誓:我們將謹記歷史、團結合作,以期能創造一個沒有戰爭並尊重女性人權的和平世界。

2017年4月1日
第一屆日軍「慰安婦」博物館會議與會者一同

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韓民族日報

講的最完整,菲律賓lina Pilipinas、中國的上海慰安婦歷史博物館、台灣的阿嬤家、韓國House of Sharing (THE MURMURING) 都有提到
Representatives of East Asian comfort women museums hold first meeting
http://english.hani.co.kr/.../e_international/789137.html
The Hankyoreh:世界の慰安婦博物館が初會議「被害者の聲、伝え続ける」http://japan.hani.co.kr/arti/international/26946.html

產經新聞

只是說了有這樣的一個一個會議,然後節錄了宣言文的幾句話
http://www.sankei.com/.../news/170401/wor1704010050-n1.html

朝日新聞

朝日新聞也和產經新聞差不多,不過最後還有提到向UNESCO提Voice of Comfort Women 的事
http://www.asahi.com/articles/ASK423T4GK42UTIL007.html

中國的人民網

走一個「果然是中國人」的路線(底下連結是日文版,我沒有去找中文的新聞原文)
http://j.people.com.cn/n3/2017/0403/c94475-9198494.html#0-fbook-1-27778-b182d7286068ff4101843e17368e4b10

朝鮮日報

只講到了日本和韓國的慰安婦紀念館
http://www.chosunonline.com/.../04/02/2017040200790.html

韓聯社

也是主要只提到了日本和韓國的紀念館,但有順便列了一下中國、菲律賓和台灣
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/04/02/0200000000AJP20170402000500882.HTML

Manlia Bulletin

馬尼拉的新聞沒有提到台灣。
http://news.mb.com.ph/2017/04/02/world-comfort-women-museums-urge-japanese-govt-to-reflect-on-history/


2017.04.06 《韓民族日報》仁川新松高校設置和平的少女像

【簡譯】仁川松島的新松高中,學生自發性的募款,在校園內建置了寬40公分,高40公分大小的少女像。目前擺在學校庭園,等活動結束後會一到學校圖書館裡。
同學們表示是受到去年十一月朴槿恵說希望能在「韓國全國的一百個學校設置一百個小的少女像」運動的啟發,而發起了這樣的募款活動。
預期要募得55萬韓圜,在募款活動第二天即達標,多餘的經費將添購少女像的基座,也預計未來收集到的捐款要捐給「韓國挺身隊問題對策協議會」。
出處:韓民族日報日文版

仁川新松高校校庭に平和の少女像設置

登録 : 2017.04.06 00:02  修正 : 2017.04.06 07:15
Retrived from http://japan.hani.co.kr/arti/politics/26983.html

仁川市立新松高校の生徒たちが「小さな平和の少女像」を校庭に設置し、記念撮影をしている=新松高校生徒会提供//ハンギョレ新聞社

「私たちは忘れません」
 仁川(インチョン)の松島(ソンド)国際都市にある新松高等学校の生徒たちが4日、自発的な募金を通じて校内に「小さな平和の少女像」を設置した。幅40センチ、高さ40センチ大の小さな少女像だが、生徒たちの自発的募金活動によって作られた。学校の校庭に設置された少女像は、広報活動が終われば学校の図書館に移される。

 生徒たちは昨年11月「朴槿恵(パク・クネ)ゲート」に刺激を受け「全国100の学校に100個の小さな少女像建設運動」の消息を聞き、生徒会役員が中心になり少女像建設議論を始めた。昨年6月に始まった小さな少女像建設運動は、ソウルの梨花女子高など40の高校ですでに設置された。新松高の生徒会は、昨年11月朴槿恵-チェ・スンシル国政壟断事態と関連して仁川の近隣学校が集まり時局宣言をするなど、社会問題に関心を持ってきた。

 生徒たちは生徒会を中心に少女像を設置した学校の事例や募金方法などを把握して、3月に小さな少女像の建設を決めた。生徒たちが募金を始めてから2日で目標額の55万ウォン(5万5千円)を超え、残った金額で少女像を載せる台座を購入したという。生徒たちは今後集まる募金については韓国挺身隊問題対策協議会に寄付する予定だ。


仁川市立新松高校の生徒たちが学校の校庭に設置した「平和の少女像」=新松高生徒会提供//ハンギョレ新聞社
仁川市立新松高校の生徒たちが学校の校庭に設置した「平和の少女像」=新松高生徒会提供//ハンギョレ新聞社

 生徒会長のイ・ジファンさんは「募金が思った以上に集まったのは、生徒たちが朴槿恵前大統領ゲート事件以後、多様な歴史的社会的イシューに関心を持つようになったためだと思う」として「私たちの小さな行動が日本の心からの謝罪を受け取ることに少しでも役立てばうれしい」と話した。生徒会副会長のソン・ジンスさんも「被害者であるハルモニ(おばあさん)たちの意見を訊きもせずに国家が合意したという事実に怒りを感じた」として「少女像の建設を通じて慰安婦問題のような歴史的に重要な問題に多くの学生が関心を持つ契機になってほしい」と話した。

キム・ヨンファン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-04-05 21:54
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/789358.html 訳J.S(1080字)

2017.04.06 TAIWAN TODAY:提供外國移工創業支援、開班授課的兩位台灣年輕人


日文版TAIWAN TODAY今天的新聞(中譯附在日文段落之後)
jp.taiwantoday.tw

台湾で就労する海外出身の「出稼ぎ労働者」は約60万人に達し、台湾の全人口の1/40に相当する数となっている。陳凱翔さんと呉致寧さんの2人は非営利団体「One-Forty40分の1」を立ち上げ、台湾北部の台北市によるイノベイティブ育成計画の補助を申請、外国人労働者を対象に講座を開き、これら労働者が貧困から抜け出すための起業をサポートしている。
在台灣工作的外國移民工約六十萬人,相當於佔全台灣人口 1/40 的人數。由陳凱翔與吳致寧共同創辦的非營利組織「One-Forty40分之1」由位於台灣北部的台北市的 innovative 育成計畫申請補助,以外國移工為對象開設講座,希望能藉由提供相關支援以改善勞工的貧窮問題。

国立政治大学(台北市)経営管理学科の卒業生である陳凱翔さんはかつて台湾で働くインドネシア人労働者の団体のボランティアを務めた。その際、台湾でお金を貯めた労働者が故郷に戻り、商売を始めようとしても、夢はある一方で予算などの計画が無いため最後は資金不足となり、再び台湾での出稼ぎに向かうという悪循環を目にしてきた。このため陳さんは商業学の知識を持つ呉致寧さんに声をかけ、志を同じくする2人でこうした外国人労働者を支援したいと希望している。
國立政治大學(台北市)經營管理學系畢業的陳凱翔曾參加過協助在台灣工作的印尼移工志工團體,那時候他發現為了要存錢而來台的勞工,在回到故鄉之後即便想要開始經商,也會因為沒有編列預算等概念,導致資金不足,最後只好再一次來台灣工作,形成如此這般的惡性循環。為此,陳凱翔和具有商學背景的吳致寧聯絡,有志一同的兩個人於是乎希望能一起協助外國移工,給予她們相關支援。

「One-Forty」を立ち上げた目的について、呉さんは、外国人労働者は故郷を離れて頑張る人たちで、かつて台湾の地方出身者が台北市に出稼ぎに来て、家族に少しでもいい暮らしをさせたいと努力したのと同じである他、今ではこうした外国人労働者が台湾の中小企業や長期介護産業で働き、間接的に台湾の社会を支えていると説明。「One-Forty」の二大任務の一つは、東南アジアからやってきた労働者に教育資源を提供し、これらの人たちが台湾で知識と技能を学べるようにすることで、帰国後の起業をサポートすること。もう一つは、東南アジアからの労働者が台湾に対する認識を深められるよう促すこと。
關於「One-Forty」當初成立的目的,吳致寧表示離鄉背井、出外打拼的外國移工,加上來自台灣偏鄉來到台北市奮鬥打拼的人們,為了要讓留在家鄉的家人們能夠過更好的生活而努力,而現今的外國移工在台灣中小型企業或投入長期照護產業工作,間接的支持著台灣的社會。「One-Forty」兩大任務之一,就是要提供教育資源給遠從東南亞千里迢迢來到台灣的勞工們,讓他們得以在台灣習得知識與技能,回到自己母國之後也能創業;另一個則是要讓來自東南亞的移工們更認識台灣。

「One-Forty」は設立当初、インドネシア国籍の学生がボランティアで参加していただけで、経費は全て陳さんと呉さんの貯金と少額の寄付金でまかなっていた。その後、台北市産業奨励補助プロジェクトオフィスの補助計画の協力が得られたことで、講師を増やし、正式な職員を雇えるようになったという。
「One-Forty」設立初期有印尼籍的學生以志工的方式加入,經費上全是陳凱翔和吳致寧兩人的儲蓄和小額捐款。在這之後得到台北市產業獎勵補助 project office 補助計畫的幫忙,才得以增加講師的人數,與雇用正式職員。

「One-Forty」では、マーケティングや財テク、店舗開設などのビジネス講座を提供。現在の受講者はインドネシア籍の女性労働者が多い。この状況について呉さんは、陳さんがインドネシア人労働者のことに比較的詳しいことと、講義の時間を日曜日の午後に設定している関係で、決まった休みのある、介護の仕事をしているインドネシア人ヘルパーしか受講できないと説明している。男性労働者は工場勤務や漁船での仕事が多いため、時間があわないという。
「One-Forty」目前提供 marketing、financial technology與開店等商業講座,目前的學生以印尼籍女性勞工為主。對此,吳致寧解釋道說,是因為陳凱翔比較了解印尼移工的事情,以及講座時間開在星期天下午的緣故,使得只有可以預排休假的印尼籍看護工才能參加,而男性移工多半在工廠或是漁船工作,在時間上無法配合。

「One-Forty」では教室での講義の他、将来的にはインターネットを通じた授業も実現し、台北に来て受講できない、より多くの外国人労働者をサポートしていきたいとしている。
「One-Forty」在了在教室開班授課之外,未來也將提供雲端課程,提供給無法到台北上課、讓更多外國移工有機會得到相關資源。

2017.04.05《每日新聞》大阪市男同性伴侶獲「養育里親」認定 全國首例

本文同時刊載於 GagaTai嘎嘎台 與 LalaTai
gagatai.com
lalatai.com


 *註:「里親」制度不同於傳統、既有的養父母「收養」制度。「收養」僅限於「已婚夫婦」共同收養小孩,但「里親」制在設計上並未限定「已婚」「異性戀夫婦」等條件,而是強調「具有照顧、扶養小孩」能力的「大人」皆可申請。
在傳統婚姻觀念極強的日本社會,「里親」制度的出現,被視為突破傳統一夫一妻共同扶養小孩的價值觀念上一個很大的突破。
在這樣保有很高彈性、新時代的「里親」制度下,有第一對同性伴侶申請成功,著實為「里親」制度的有多了更多的可能性。

2017-04-03

部落格《祖父的證言~戰爭與從軍慰安婦》

內容節選自:祖父の証言~戦争と従軍慰安婦
Retrived from http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/

這個網站是一位根本大(Nemoto Masaru)自己訪問自己的阿公根本長寿(Nemoto Cyujyu,這個阿公曾駐守在現在的黑龍江省齊齊哈爾,後期駐守在帛琉。玩樂經歷:齊齊哈爾的韓國籍慰安所)的紀錄,節錄幾個我覺得滿有意思的部分。

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Q、金はどのくらい慰安婦にあげたのか
那時候給了慰安婦多少錢呢


A、当時は一ヶ月分の給料は約2百円だった。現在のお金で言うと2~3万くらいじゃないか?それを全部、慰安婦にあげたりした。
那時候一個月的薪水大約是兩百塊,換算成現在的錢大概是兩、三萬元左右吧?這些全部都給慰安婦了。

Q、全部あげた?他に給料の使い道はなかったのか
全部都給他們了?沒有其他使用這些零用錢的方法嗎

A、なかった。食事は配給だったし、服や装備品も配給、寝る所は兵士宿舎、酒(チャンチーという、こうりゃんで作った酒)もタバコ(ほまれという銘柄)も配給だった。チチハルには飲み屋もあって、行ったりはしたが・・・でも基本的に、月二百円で足りた。全額慰安婦にあげたりした。
沒有。有供餐、衣服和裝配也都有配給,住的地方是士兵宿舍,高粱酒和菸也都有配給。
雖然在齊齊哈爾也有小酒館,也是有去過啦...但是基本上一個月兩百塊幾乎都給了慰安婦。

Q、それでは、朝鮮人慰安婦は結果的に大金持ちになったのではないか
這麼說來,韓國慰安婦不就超有錢的嗎
A、そうかもしれないな。しかし、タダで遊んでも良かったんだ。
也許真的是這樣吧。但是如果當時能夠享受當下不是也很好嗎(其實這句不太確定主詞是在講誰)



Q、韓国は今、日本は従軍慰安婦問題について誠実に対応しなければならない、などと言ってきているが、日本はそうすべきだと思うか。謝罪や賠償をすべきだと思うか。
韓國到現在都在講希望日本能針對「從軍慰安婦」的問題,坦誠地回應。日本有必要這麼做嗎?還是覺得不需要謝最後賠償?

A、当時には当時のやむをえない事情があったわけで、確かに今考えれば悪いことをしたとは思うが(罪悪感はある)、当時の朝鮮は日本の属国として日本の世話になっていたわけで、いまさらそれを謝罪や賠償する必要はないと思う。当時は、敵国の兵隊を殺せば「良い事をした」と褒められた。他にも、日本の首相はアジア各国に謝罪してきているが、それは必要ないと思う。当時を生きた人達に聞けば、みんなそう言うんじゃないか?
那個時代有那個時代的背景,確實現在再回想起來那樣做是不對的(帶有罪惡感),但當時的朝鮮是日本的藩屬國,受到來自日本很多的照顧,所以我覺得沒有必要特別向韓國謝罪或賠償。
在那個時候,只要能殺了敵人就會被誇獎「真是做了一件好事呢」,如果日本向韓國謝罪的話,就還要和亞洲各個國家謝罪,這其實沒有必要。如果去問那個時候曾經活著的人們,他們應該也都會這樣回答吧

(※↑祖父がこう言い切ったのは自分も意外でした。しかし考えてみれば、当時を生きた人達からすれば、これが自然なのかもしれません。しかし自分は祖父の考えには反対です。慰安婦強制は当時としても国際法違反の犯罪ですし、同じことを日本が他国からやられたらやはり許せないと思うのが当然だと思うから)
(我很意外阿公會這麼說。但仔細想想之後,當時的人會這麼想或許也很自然。但是我反對阿公這樣的看法。慰安婦的強制在當時也違反了國際法,屬於犯罪,所以日本在(韓國以外的)其他國家也做了這樣的事,當然也不應該被原諒。)



Q、当時から兵隊の間では慰安婦を指す言葉として「パンパン」という言葉は使われていたのか。その朝鮮人の女の子は自ら「パンパンにされた」と言ったのか。自分らのイメージでは「パンパン」とは敗戦後、占領軍相手に春を売った女性のことを指す様に思えるが?
那時候部隊裡大家都會用「PAN-PAN」(パンパン)來指稱慰安婦嗎?韓國籍慰安婦在當時也會自己說「被成為PAN-PAN」了嗎?(抱歉翻得很怪)我自己的印象(我自己以為)是,「PAN-PAN」這個詞是戰後,戰勝的那一方用來指稱賣春婦的

A、当時の兵隊はみな「パンパン」という言葉を使っていた。その朝鮮人の女の子も、「看護婦募集に応募して来てみたら騙されてパンパンにされた」と自分でそう言った。
當時部隊裡大家都會用「PAN-PAN」這個詞,朝鮮的女生也都會說:「我以為是要募集護士才來的,沒想到變成『PAN-PAN』了」



同一個部落格的資料(其實是這篇文章中有引用到的超連結)

曾經待過齊齊哈爾的憲兵土屋芳雄的現身說法當中,他用了「娘子軍」來稱呼「慰安婦」

「従軍慰安婦をそう呼んだ。日本軍が行くところに、ついて来た女性部隊だ。軍属の服を着て、軍と一緒に行動するなどという“部隊”は、おそらく世界でも初めてではなかったか。」
(娘子軍)也被稱作「從軍慰安婦」,是日本軍所到之處緊接而來的女性部隊。身穿軍服、和軍隊一起行動的「部隊」,恐怕是世界上第一個吧!

http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/syougen-2/

2017-04-02

2017.04.01《時事通信》避難指示起七成已解除=只剩核電廠房所在的兩個町―福島

《時事通信》2017/04/01避難指示7割で解除=残るは原発立地2町など―福島

headlines.yahoo.co.jp


 因為東京電力福島第一核電廠事故,#福島縣 #富岡町 全區域撤離的避難指示在一號解除了高輻射線量的「#歸還困難區域」(#帰還困難区域)以外的避難指示。
 根據戶政資料的人口名簿,這次解除避難指示的區域人口佔富岡町七成,9544人(3月1日前的紀錄)。
 富岡町長宮本皓一在避難指示解除後,說:「從現在開始就要比之前在更努力的朝向復興、再生之路」。
 同為福島縣的 #飯館村、#浪江町 和 #川俣町 也在同一天3月31日解除了避難指示。事發後至今六年,福島縣內11個市町村的避難指示約有七成已解除,還沒解除避難指示的市町村包含仍被列為「歸還困難區域」和第一核電廠的 #雙葉町 和 #大熊町。
 只是,在富岡町解除避難指示前,事前申請準備要回來鄉里留宿的人數,在28日以前不超過348人。日本復興廳針對地方住民的意見調查中,回答避難指示解除後也「絕對不回去」的戶數有57.6%,相對樂觀、希望能回去的比率有16.0%。
 政府和町役所對於「歸還困難區域」設置了以除染、基礎公共建設為重點的「#特定復興再生節點區域」(#特定復興再生拠点区域),希望能在五年內解除「歸還困難區域」的避難指示。
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#富岡町 #飯舘村 #浪江町 #川俣町 #双葉町 #大熊町 #復興庁

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