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我,投入慰安婦問題的契機

  國中、高中歷史課本上一定都會提到這段時代背景下的故事,「慰安婦」是時代的產物,「戰爭性暴力」也是一直到今天都還存在於世界上的角落,婦女、孩童等生活在社會底層的人民往往都會是損失最慘重、無端被波及到的一群人。從課堂上,我們學到了台灣「慰安婦」阿嬤在當時多半是以招募食堂女服務...

2017-04-27

《KOREAと日本についていろいろ》部落格關於第一屆日本軍「慰安婦」博物館會議的紀錄

第1回日本軍「慰安婦」博物館会議
2017/4/5(水) 午前 8:01 日本軍「慰安婦」問題
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「記憶」を継承していくために-第1回日本軍「慰安婦」博物館会議

傳承「記憶」的第一屆日本軍「慰安婦」博物館會議

7カ国から11の博物館と運動団体が参加
日本政府の歴史修正主義に対抗する運動の継続と国際的な連帯を確認
來自7國共11個博物館或社運團體
持續並跨越國際共同對抗日本政府的「歷史修正主義」

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▲第1回日本軍「慰安婦」博物館会議に7カ国から11の博物館と運動団体が参加した
▲第一屆日本軍「慰安婦」博物館會議共有來自7國共11個博物館或社運團體人士參加

 4月1日(土)、東京都千代田区の在日韓国YMCAで<第1回日本軍「慰安婦」博物館会議>が行われ、アジア各国と米国で日本軍「慰安婦」問題の記録保存と継承にとりくむ博物館と運動団体が、各地の活動を報告して情報交換を行った。
4/1星期六,於東京都千代田區的在日韓國YMCA舉行「第一屆日本軍『慰安婦』博物館會議」,有來自亞洲各國與美國關於保存並傳承日本軍「慰安婦」問題的博物館與社運團體報告各地的活動現況與資訊交流。

この会議は、日本軍「慰安婦」被害者の高齢化が進み、資料や証言の収集が困難になっている一方で、日本政府の事実隠ぺいと歴史の書き換えがひどくなっている状況の中で、各地の活動の成果と課題を共有して、記録の保存と「記憶」の継承を国際的な連帯運動として進めていこうという趣旨で開催された。日本の他、韓国、中国、台湾、フィリピン、米国、東ティモール(文書参加)から11の博物館と運動団体が参加した。
這個會議在日本軍「慰安婦」被害者的高齡化使得資料與證言的收集越發困難之外,在日本政府企圖隱瞞歷史事實的現況中,以分享各地的活動成果與課題、強調保存與傳承歷史記憶的國際合作社會運動為主題,除了日本之外,還有來自韓國、中國、台灣、菲律賓、美國與東帝汶(只有文書資料)共11個博物館或社運團體的參加。

時代をさきがけて作った博物館
-韓国<ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館>と<民族と女性歴史館>

順應時代潮流而設立的博物館
-韓國「分享之家・日本軍『慰安婦』歷史館」與「民族與女性歷史館」

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 第1テーマの「時代をさきがけて作った博物館」では、韓国で他国に先駆けて作られた博物館が紹介された。トップバッターとして、1998年に開館された初めての「慰安婦」博物館である<ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館>の安信権(アン・シングォン)所長が、歴史館の開館に至る経緯と現状について報告をした。 
第一個主題是「順應時代潮流而設立的博物館」,介紹了做為設立慰安婦紀念館先驅的韓國的例子。1998年開館,作為最初的「慰安婦」博物館的「分享之家・日本軍『慰安婦』歷史館」安信權所長,分享了從開館至今的現況。

 <ナヌムの家>は、1991年の金学順(キム・ハクスン)ハルモニのカミングアウトをきっかけに韓国社会で「慰安婦」問題の公論化が進む中で、生活に困窮していた被害者のハルモニたちの共同生活の場として、大韓仏教曹溪宗の支援を受けて1992年にソウルで始まり、1995年に現在地(京畿道広州市)に移転した。そして、1998年8月14日に、日本軍「慰安婦」の記録・教育・追悼の施設として歴史館が開館した。
「分享之家」是在1991年韓國金學順阿嬤向世人「出櫃」之後,在韓國社會掀起一股「慰安婦」問題討論的浪潮時,針對生活貧困的被害者阿嬤們所提供的共同生活的場域。1992年接受來在大韓佛教曹溪宗的支援在首爾成立,1995年搬遷至現在地(京畿道廣州市),之後於1998年8月14日成立了紀錄、教育與哀悼三合一的日本軍「慰安婦」歷史館。

   歴史資料の収集にあたっては、日本の市民団体からもたくさんの資料が提供された。沖縄在住で金学順ハルモニの20年前に「慰安婦」であることを告白した裴奉奇(ぺ・ポンギ)ハルモニの遺品も展示されている。
關於歷史資料的收集,主要是來自日本的市民團體所提供的,也展示了住在沖繩、證實金學順阿嬤在二十年前曾為「慰安婦」的裴奉奇阿嬤的遺物。

  その後、敷地の拡張と展示館のリニューアルを行い、2017年には、追悼公園と映画<鬼郷>のセット場を造成する予定である。将来的には、日本軍「慰安婦」をはじめとする世界の平和・人権教育のハブセンターとしての役割を担うことが期待されている。
在那之後,因為空間的擴大與展館的重新整理,2017預定作為紀念公園與電影《鬼鄉》的拍攝現場,將來打算肩負起從日本軍「慰安婦」起邁向和平、人權教育的分享中心(hub center)。

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  韓国の釜山にある<民族と女性歴史館>は、関釜裁判(※)の原告団長を務めた金文淑(キム・ムンスク)館長が私財を投資して建てた博物館で、2004年に韓国で2番目の「慰安婦」博物館として開館した。金館長は、関釜裁判や釜山で初めての少女像の建立など自身の「慰安婦」問題での取り組みと、歴史教育が疎かになっている若い世代に対する教育活動に力を入れている博物館の活動を紹介し、「男女平等こそが世界の平和を実現する道」だとアピールした。
至於韓國釜山的「民族與女性歷史館」,則是由「關釜裁判」的原告團負責人金文淑館長以私人資產投資、興建而成的博物館,於2004年作為韓國第二個「慰安婦」博物館。金館長表示,不論是關釜裁判或是在釜山首次建立了少女像,博物館希望能夠過教育的方式,讓歷史教育不充分的年輕世代透過自身去思考「慰安婦」問題,展現出「從男女平權通往實現世界和平的道路」的態度。
※関釜裁判
1992年12月25日、金文淑館長が探し出した元「慰安婦」被害者3人と勤労挺身隊出身の7人が、日本政府に公式謝罪と補償を求めて山口地方裁判所下関支部に提訴した裁判。1998年4月27日の判決では、「慰安婦」制度は「徹底した女性差別と民族差別思想の現れであり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるもの」という事実を認定し、元「慰安婦」の3人に90万円ずつの慰謝料の支払いを命じた。
※關釜裁判
1992年12月25日,由金文淑館長率領其找到的前「慰安婦」被害者3人與出身於勤勞挺身隊的7人,要求日本政府正式道歉、賠償,向山口地方裁判所(地方法庭)下關支部提出訴訟。1998年4月27日的判決承認「慰安婦」制度「徹底的顯現出對女性的歧視與民族歧視的思想,並侵犯了女性的人格尊嚴與民族的榮耀」,勒令賠償三名前「慰安婦」の3人共90萬日圓的慰問金。 

国際的な連帯運動として-フィリピン<リラ・ピリピーナ ロラズ・センター>

國際性的連帶運動
-菲律賓的 Lila Filipina Resource Center

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  第2テーマの「国際的な連帯運動として」では、フィリピンの<ロラズ・センター>のレチルダ・エクストレマドゥラ代表が報告した。フィリピンでは174人のロラ(おばあさん)が「慰安婦」として登録している。<リラ・ピリピーナ>は当事者であるロラと支援者の団体で、<ロラズ・センター>はその活動拠点として、日本の市民団体の支援も受けながら、2008年に設立された。
第二個主題是「國際性的連帶運動」,由菲律賓的「Lila Pilipina」艾斯特里曼度拉(Rechilda Extremadura)代表報告。菲律賓現存174名慰安婦「lola」(菲律賓 Tagalog 語的阿嬤),「Lila Pilipina」是提供前慰安婦「lola」阿嬤支援的團體,2008年成立「Resource Center」作為活動據點,接收日本民間團體援助。

 <ロラズ・センター>では、ロラたちの勇気あるカミングアウトと闘いの記憶を継承できるよう、若者のインスピレーションに訴える展示に取り組んでいる。1人1人のロラの写真と証言を記録したアルバムを作成し、「慰安婦」の体験をつづった絵やキルトも展示している。
「Resource Center」著重於傳承「lola」阿嬤們鼓起勇氣向世人「出櫃」與奮鬥的記憶,並展示年輕人的採訪,記錄一位又一位「lola」阿嬤的照片與證言的相本,展示歷經「慰安婦」的經驗繪製而成的畫或拼布(quilt)。

 エクストレマドゥラさんは、「たとえロラたちがいなくなったとしても、ここに来たらロラの話が聞ける。日本政府は歴史を消そうとするが、この動きは誰にも止めることはできない。フィリピン政府に圧力をかけても無駄だ。これは市民が次世代への責任として作ったものだからだ。博物館は世界中に広がっていくだろう」と語った。
艾斯特里曼度拉(Rechilda Extremadura)說:「即便『lola』阿嬤們離開人世,來到這裡的人也能聽到『lola』阿嬤們的故事。日本政府想要消除這段歷史記憶,但誰也阻止不了(慰安婦歷史的傳承),即便(日本政府)向菲律賓政府施壓也是沒用。因為這是市民們覺得有責任要為了向下一個世代交代,而成立的,讓世界上有越來越多博物館吧」。

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▲「慰安婦」の体験をつづったロラの作品
▲歷經「慰安婦」經驗後而製成的「lola」阿嬤作品

大学や行政と連携しながら
-中国<南京利済巷慰安所旧址陳列館>と<中国「慰安婦」歴史博物館>

大學與行政部門的合作
-中國「南京利濟巷慰安所遺址陳列館」與中國「『慰安婦』歷史博物館」

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   第3テーマの「大学や行政と連携しながら」では、中国にある「慰安婦」博物館について報告された。まず、<南京利済巷慰安所旧祉陳列館>の蘇智良(スー・チーリャン)館長が、中国にある4カ所の「慰安婦」博物館について紹介し、特に南京の事例について詳しく報告した。ここは、朝鮮民主主義人民共和国在住の「慰安婦」被害者だった故・朴永心(パク・ヨンシム)ハルモニが連れて来られた慰安所で、2003年11月に中国、朝鮮、日本の3ヵ国による合同調査で朴永心ハルモニが現地を訪れて証言している。2015年12月に開館した博物館の入り口には、朴永心ハルモニをモデルにした3人の「慰安婦」の像が置かれている。博物館は、南京大虐殺記念館の分館という位置づけで、南京市政府から財政支援がされている。
第三個主題是「大學與行政部門的合作」,講的是中國的「慰安婦」博物館。首先由「南京利濟巷慰安所遺址陳列館」的蘇智良館長負責介紹中國境內四個「慰安婦」博物館,其中南京的部分有更詳細的解說。「南京利濟巷慰安所遺址」是已故「慰安婦」被害者朴永心阿嬤(生前定居在南韓)的受害地點,2003年11月時由中國、南韓和日本三國共同展開的調查時,朴永心阿嬤到當地時提供的證言。2015年12月開館的博物館入口處,放置了朴永心阿嬤等三人為樣板的「慰安婦」像,該博物館作為南京大屠殺紀念館的分館,接受來自南京市政府的財政支援。

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▲朴永心ハルモニをモデルにした「慰安婦」の像
▲以朴永心阿嬤為雛形的「慰安婦」像

続いて、中国「慰安婦」問題研究センターの陳麗菲(チェン・リーフェイ)研究員が、2007年に上海師範大学の研究センターとして開館された中国「慰安婦」資料館について紹介した。中国の「慰安婦」博物館は、日本の侵略戦争の歴史を記録して保存する国家プロジェクトクトの一環として位置づけられている。
接著是中國「慰安婦」問題研究中心的陳麗菲研究員負責介紹2007於上海師範大學的研究中心成立的中國「慰安婦」資料館。中國的「慰安婦」博物館被定位成「紀錄與保存日本侵略戰爭的歷史」國家計畫的一環。

地域社会と連携した設立運営
-韓国<희움日本軍「慰安婦」歴史館>と台湾<阿嬤の家 平和と女性人権館>

與地方社會合作設立的
-韓國「Heeum日本軍『慰安婦』歷史館」與台灣「阿嬤家 和平與女性人權館」

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 第4テーマの「地域社会と連携した設立運営」では、韓国と台湾から報告があった。まず、韓国大邱市の<희움日本軍「慰安婦」歴史館>の李仁純(イ・インスン)館長が報告した。희움(ヒウム)とは희망을 모아서 꽃피움(希望を集めて花開く)の略で、
2015年12月に開館した。1997年に発足した<挺身隊ハルモニと共にする大邱市民の会>が母体となって、地域コミュニティの力で建てた博物館である。当初は行政からの支援が受けられなかったので、市民参加の募金やアーティストのチャリティ公演で資金を集めた。また、「희움」のブランドでアクセサリーや日用品のグッズを販売し、その収益で設立資金の70%を調達している。
第四個主題「與地方社會合作設立」由韓國和台灣報告。首先由韓國大邱「Heeum日本軍『慰安婦』歷史館」的李仁純館長負責報告,Heeum(희움)是韓文「희망을 모아서 꽃피움」(綻放凝聚希望的花朵)的簡稱,於2015年12月開館。前身是1997年發跡的「大邱市民與挺身隊阿嬤同在之會」,靠著地方社群的力量而創建的博物館。起初並未接受行政體系的支援,由來自市民的捐館與藝術家的慈善公演集資,並販售以「Heeum」為品牌名的飾品與日用品,所得達當初設館資金的七成。

日本風家屋を再現した2階建ての展示館には、文玉珠(ムン・オクチュ)ハルモニら大邱・慶尚北道地域の「慰安婦」被害ハルモニを中心に展示が組まれている。また、市民や地元自治体の議員を対象にした学習プログラムや、ハルモニたちに対する生活・福祉支援など、地域コミュニティと密接につながった活動を続けている。
二樓展館是日本風民家的風貌,以文玉珠等阿嬤們於大邱・慶尚北道地域受害的「慰安婦」阿嬤為中心的展示區。另有針對在地市民、市議員為目標的學習型計畫,對於阿嬤們的生活、社福支援與地方社會之間的連結為中心持續的進行著。

次に、台湾の日本軍「慰安婦」問題の運動団体である<台北市婦女救援基金会>の康淑華氏が<阿嬤の家 平和と女性人権館>について報告した。2016年12月10日の「世界人権デー」に開館した最も新しい「慰安婦」博物館であるが、開館から3カ月で1万人が訪問した。日本軍「慰安婦」問題の経験を共有するとともに、現代の性暴力防止に向けた教育と性暴力被害者のエンパワメントを推進している。
接著是台灣的日本軍「慰安婦」問題的社運團體「台北市婦女救援基金會」的康淑華女士針對「阿嬤家 和平與女性人權館」的報告。於2016年12月10日的「世界人權日」開館的最新「慰安婦」博物館,開館至今三個月已有一萬人次造訪。除了分享關於日本軍「慰安婦」問題的經驗,同時也推動著防止當代性暴力的教育與提供性暴力受害者empowerment。

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▲<阿嬤の家>のカフェでは、女性の雇用と自立を援助するための販売活動を行っている
▲<阿嬤家>的咖啡廳以的販售活動以援助女性就業與獨立為目的。

記憶の運動とこれから
-<日本軍性暴力パネル展実行委員会>の活動、<日本軍「慰安婦」ハルモニと共にする馬昌鎮市民の会>の活動、米国での「平和の碑」運動、UNESCO記憶遺産記録の状況

記憶的運動與從今以後
-「日本軍性暴力展版實行委員會」的活動、「馬昌鎮市民與日本軍『慰安婦』阿嬤同在之會」、美國的「平和之碑」運動、聯合國教科文組織世界記憶遺產的狀況

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 第5テーマの「記憶の運動とこれから」では、日本、韓国、米国での「慰安婦」問題を記録する市民運動と、日本軍「慰安婦」問題をUNESCO記憶遺産に記録する取り組みが報告された。まず、<日本軍性暴力パネル展実行委員会>の石田米子共同代表が、中国で開催している日本軍「慰安婦」問題パネル展について報告した。主に中国の「慰安婦」被害者の支援を行ってきた団体・個人が実行委員会を構成し、2009年から6回、中国各地で行ってきた(三西省太原の太原抗戦記念館では2015年9月から常設展示)。中国のネット民の反発によって中止に追い込まれるという苦境もあったが、「慰安婦」被害者の娘がパネルで亡き母親に再会して涙を流したり、学生がボランティアで来館者のガイドを引き受けたりと、「記憶」を共有する両国の市民の出会いの場となっている。
第五的主題「記憶的運動與從今以後」的內容為日本、韓國、美國的紀錄「慰安婦」問題的市民運動與向聯合國教科文組織申請將日本軍「慰安婦」問題為世界記憶遺產的現狀。首先由「日本軍性暴力展版實行委員會」石田米子共同代表報告在中國展開的「日本軍『慰安婦』問題展版展示會」。主要由中國的「慰安婦」被害者支援團體或個人所組成的實行委員會,自2009年以來在中國各地已展開六場展示(三西省太原的太原抗戰紀念館自2015年9月起為常設展)。因為中國網軍的反對攻勢而不得不中止的活動現狀,有「慰安婦」受害者的女兒在展版上看到已逝的母親不禁落淚,也有學生主動報名展場志工導覽參觀者,是兩國的市民因為這段共有的「記憶」而相會的場域。

 次に、<日本軍「慰安婦」ハルモニと共にする馬昌鎮市民の会>の李京禧(イ・ギョンヒ)代表が、2007年に発足した会の活動について、「少女像」(人権・自主・平和の誓いの像)の設立運動を中心に報告した。2013年6月に建立が提案され、像のイメージに対するアンケート調査、討論会、募金集めなど、徹底した市民参加のプロセスを経て、2014年8月27日に除幕式が行われた。
接著是「馬昌鎮市民與日本軍『慰安婦』阿嬤同在之會」的代表李京禧針對2007年該組織發起的活動「少女像」(宣示人權、自主、和平之像)的設立運動為主題報告。2013年6月提案,針對少女像的意象展開問卷調查、討論會、募款等,完全由市民參與的歷程,於2014年8月27日開幕。

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▲<人権・自主・平和の誓いの像>の除幕式には「慰安婦」被害者の李容洙ハルモニも参加した
▲「慰安婦」受害者李容洙阿嬤也有參加<宣示人權、自主、和平之像>の開幕式。

 続いて、<カリフォルニア州韓米フォーラム>のフィリス・キム氏が、米国における「平和碑」の設立運動について報告した。2006~2007年にマイク・ホンダ議員ら167人の超党派の議員が共同提案者となった米下院の「慰安婦」決議は、無党派の草の根運動が主導した。日本政府はこの決議について「韓国政府の指示による政治工作」という誹謗中傷を行ったが、これは米国市民と世界の市民に対する歴史教育として自立的に行われたもので、2007年のうちに米国、オランダ、フィリピン、カナダ、欧州議会で同様の決議が採択された。その後、一般市民に対する教育として、「慰安婦」の碑や像の建設運動が各地で取り組まれ、現在、サンフランシスコに「平和碑」を建設する運動が続いている。
接著是「加州韓美 Forum」的 Phyllis Kim 針對美國的「和平盃」的設立運動進行報告。2006~2007年 Mike Honda 議員共167位跨越黨派的議員提案的美國下議院「慰安婦」決議,是由無黨派的草根運動主導的。日本政府對於該決議表示這是「接受韓國政府只是的政治工作」誹謗中傷,這是美國市民與世界市民自發進行的歷史教育,2007年在美國、荷蘭、菲律賓、加拿大、歐洲議會也採納了相同的決議。在那之後,作為一般市民的大眾教育,「慰安婦」的碑、像等建設運動在各地展開,現在在舊金山的「平和碑」設置運動正在進行中。

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▲サンフランシスコの「平和碑」。韓国・中国・フィリピンの「慰安婦」被害者を象徴する3人の女性と金学順ハルモニ
▲舊金山的「和平碑」。象徵韓國、中國、菲律賓的「慰安婦」被害者的女性與金學順阿嬤。

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 最後に、<「日本軍『慰安婦』の声」共同登録国際委員会>の韓惠仁(ハン・ヘイン)総括チーム長が、UNESCO世界記憶遺産に日本軍「慰安婦」問題を登録する運動の現状について報告した。現在、2,744点の資料の登録の申請をしている状態であり、2017年9月の審査で登録可否の結果が出る。
最後是「日本軍『慰安婦』之聲」共同登錄國際委員會的韓惠仁總長,報告向聯合國教科文組織申請將日本軍「慰安婦」問題登錄為世界記憶遺產的運動現狀。目前共提出2744件資料申請正在審理中,預定於2017年9月審查結果出爐。

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▲UNESCO世界記憶遺産に登録を申請した資料
▲向聯合國教科文組織提出的世界記憶遺產申請資料。

 各団体からの報告の後、各国の「慰安婦」被害者から集会参加者に向けたビデオメッセージが流され、宣言文を参加国の言語でリレー方式に読み上げて、集会を終えた。
各團體輪流報告之後,放映來自各國「慰安婦」被害者向集會參加者的影像訊息,並以參加國的語言輪流朗讀宣示文後,結束這次的集會。

 この日、会場の外では、日本軍「慰安婦」問題の歴史を歪曲する極右団体の街頭情宣が行われていたが、大きな混乱なく終わった。
這天,在會場外有企圖扭曲日本軍「慰安婦」問題的極右翼人士在街頭鬧事,場面很混亂。

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▲集会の最後に宣言文が参加国の言語で朗読された
▲在集會的最後以參加國語言朗讀宣示文。


第一屆日軍「慰安婦」博物館會議宣言文

今天來自韓國、中國、台灣、菲律賓、美國等各國代表聚集於加害國--日本--召開了全世界首次的日軍「慰安婦」博物館會議。

1991年8月14日,韓國的金學順女士以首位「慰安婦」被害者的身分公開譴責日本政府,從此打破了塵封數十年沈默的歷史。隨後,有更多被害者站出來,提供了有力的證詞。她們的證詞和歷史研究的發展,足以證明日軍在侵略和統治亞太地區的同時,在多數區域都實行了戰爭性奴隸制度的事實。

自活動開始以來,被害女性們的勇敢與積極的參與,一直是帶領整個社會運動的前鋒。她們背負著難以啟齒的歷史,卻溫柔而堅強的活出自我,讓我們學到了做為人的尊嚴和勇氣。

一路上,我們持續對日本政府施壓,要求日本政府對曾經犯下過嚴重侵犯女性人權的罪刑負責,但日本政府卻試圖竄改與遺忘這段歷史。在日本政府持續否認其歷史作為下,博物館的角色變得更加重要,不僅肩負著教育下一代和平與人權重要價值的責任,也肩負著回復倖存者尊嚴的責任。

從1990年代後期起,日軍「慰安婦」博物館相繼成立,保存著日軍「慰安婦」倖存者的記憶。日軍「慰安婦」博物館會議在此宣誓:我們將謹記歷史、團結合作,以期能創造一個沒有戰爭並尊重女性人權的和平世界。

2017年4月1日
第一屆日軍「慰安婦」博物館會議與會者一同
 〈第一屆日軍「慰安婦」博物館會議宣言文〉同站連結:
http://yuchieh-chang.blogspot.tw/2017/04/20170401.html

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