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我,投入慰安婦問題的契機

  國中、高中歷史課本上一定都會提到這段時代背景下的故事,「慰安婦」是時代的產物,「戰爭性暴力」也是一直到今天都還存在於世界上的角落,婦女、孩童等生活在社會底層的人民往往都會是損失最慘重、無端被波及到的一群人。從課堂上,我們學到了台灣「慰安婦」阿嬤在當時多半是以招募食堂女服務...

2017-08-15

2017.08.14《中央日報》日本的警察文件當中有「慰安婦募集是誘拐事件」的強制性證據

「慰安婦募集は誘拐事件」強制性立証、日本の警察文書あった
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
2017年08月14日 09時37分
Retrieved from http://s.japanese.joins.com/article/293/232293.html?servcode=A00&sectcode=A10
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慰安婦募集行為を「誘拐」として調査したという日本の警察文書。
以「誘拐」為慰安婦募集行為的調查方向的日本警察文件。

  「世界日本軍慰安婦記念日」の8月14日を翌日に控えた13日、日帝時代の日本の慰安婦募集過程を目撃した日本の警察が当時の状況を「誘拐」と認知して調査したという内容の日本の警察文書が公開された。文書には「酌婦(慰安婦)募集の為、本邦内地(日本)とともに朝鮮方面に旅行中のものあり」という内容が入っている。これは日本の軍部の命令で進められた慰安婦募集過程に強制性があったという事実を示す文書とみられる。
8/14「國際慰安婦紀念日」的前一天,13號公開了日本帝國時代(譯者註:韓國方面習慣將台灣常用的「日治時期」稱為「日帝時代」)目擊了日本慰安婦募集過程的日本警察,以「誘拐」為方向進行調查的警察文件。該文件中有著「為了募集酌婦(慰安婦),往返於我國內地(日本)和朝鮮方向的旅行的人」的內容, 這顯示出依循日本軍方命令而進展的慰安婦募集過程具有強制性的證明文件。

  韓日文化研究所のキム・ムンギル所長(72、釜山外大名誉教授)は、昭和13年(1938年)2月7日に和歌山県警察部長が内務省警保局長に送った「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」という題名の文書を13日に公開した。
韓日文化研究所的金文吉所長(72歲,釜山外國語大學名譽教授)公開了昭和13年(1938年)2月7日和歌山縣警察部長向內務省警保局長發送的《關於時局利用婦女誘拐被疑事件一事》文件。

  文書は「昭和13年1月6日4時ごろ、和歌山県の文里飲食店街に3人の挙動不審な男がいるのを見て尋問した」という内容で始まる。尋問の結果、男(挙動不審者)の話は「疑わしい者ではない。軍部からの命令により上海皇軍慰安所に送る酌婦を募集しにきた。3000人を連れてこいというがこれまで70人だけ昭和13年1月3日に長崎港から陸軍の御用船に乗せ憲兵の保護の下で上海に送った」とされている。
文件當中以「昭和13年1月6號4時左右,和歌山縣的文里飲食店街發現並詢問了三名舉動可疑的男性」的內容開始,詢問的結果,(舉動可疑的)男性說:「(我)不是可以份子,我是因為受軍方命令募集送往上海皇軍慰安所的酌婦而來的。昭和13年1月3日要募集到3000名從長崎港搭乘陸軍的御用船在憲兵的保護下送往上海,但至今我只找到70人而已」。

  また「情報係巡査が調査したところ、接待婦を上海に送る時の募集方法は、無知な婦女子に賃金も良く軍人を慰問するもので衣食住は軍が支給するなど誘拐する方法で募集した」と記録されている。文書には挙動不審者3人の名前と身分も書かれている。
另外,還有「情報係巡査在調查中發現,接待婦送往上海的募集方法為像無知的婦女以收入優渥、慰問軍人、食衣住皆由軍方支給等誘拐的方式募集」的紀錄,該文件也記載著三名舉動可疑份子的名字與身分。

  キム所長は「日本でも慰安婦を募集する時に誘拐して連行した事件が起き、和歌山県警察が挙動不審な男らが女性を誘拐していると各県警察署に通知した文書」と説明した。
金所長也說明:「日本也有發生募集慰安婦時以誘拐、連行的事件,這是和歌山縣警察和各縣警察署通報有舉動可疑的男子們誘拐女性的文件」。

  この内容は97年3月24日に日本政府が発刊した文書集「従軍慰安婦関係資料集成」第1巻27ページなどにある。キム所長はこの文書を4月に日本のある国立大学の図書館で知人の助けを受けてコピーし確保したと明らかにした。だが大学の名前は公開しなかった。キム所長は釜山外大で30年間にわたり韓日関連史を教え退職した後に研究所を運営している。
這個內容收錄在1997年3月24日日本政府發行的文件集《從軍慰安婦關係資料集成》第1卷第27頁。四月時金所長受人幫助在日本的某國立大學圖書館成功取得了這份文件的影本,只是未曾公開過該大學的名稱。金所長在釜山外國語大學教授韓日關聯史30年後退休,現在經營研究所。

  キム所長は1938年1月20日に長崎警察署外事警察課長が和歌山県刑事課長宛てに送った文書も公開した。この文書には「酌婦募集のために本邦内地(日本)並び朝鮮方面に旅行中のものあり。今後も同様要務にて旅行するものだろう。彼らに領事館で発給の身分証明書を携帯させるで乗船に便宜を与えるようにしなさい」という内容が入っている。また「本件(時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件)は昨年12月21日付で上海にある日本領事館警察署長から長崎水上警察署長宛てに通知があった」と書かれている。
金所長也公開了1938年1月20日長崎警察署外事警察課長寄送給和歌山縣刑事課長的文件,該文件還有「為了募集酌婦,往返於我國內地(日本)與朝鮮方面的人,今後也會因為相同的業務內容而渡航吧?給予他們領事館頒布的身分證明書,攜帶著這個身分證明書的話請讓他們能方便乘船渡航」的內容,也寫著「本件(《關於時局利用婦女誘拐被疑事件一事》)於去年12月21日位於上海的日本領事館警察署長已向長崎水上警察署長通知過了」。

  キム所長は「日本が自国だけでなく朝鮮から慰安婦を動員しようと『誘拐』という方法を使い、軍部と上海領事館が介入した事実を知る前には日本の警察も慰安婦募集過程を『犯罪』と判断していたという事実がわかる文書」と話した。
金所長說:「這份文件指出了日本並非只有自國,也從朝鮮以『誘拐』的方式動員慰安婦,在確認有軍方與上海領事館的介入一事之前,日本的警察也判斷慰安婦募集過程是『犯法』的事實」。

  彼はまた「日本が慰安婦動員の強制性を否定し証拠がないと主張するのは厚顔無恥な言動と言わざるを得ない。日本政府は過去の過ちを率直に認め被害者に謝罪しなければならない」と促した。
金所長提倡:「日本否定了慰安婦動員的強制性,並主張沒有證據是厚顏無恥的言行,這樣的說法令人無法接受。日本政府不能不直率地承認過去並向被害者們謝罪」

  慰安婦記念日は1991年8月14日に金学順(キム・ハクスン、1924~97)さんが生前に初めて慰安婦被害の事実を証言したことを称えるため2012年12月に日本軍慰安婦問題アジア連帯会議が定めた日だ。
2012年12月日本軍慰安婦問題亞洲連帶會議時訂定,1991年8月14日金學順在生前以首位慰安婦被害者的身分出面證言的日子為慰安婦紀念日。

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